兵庫県 出石城 |
■出石城=見学自由 駐車場=有料駐車場(何ヶ所かあり。) ※大手前有料駐車場が近い。1回=400円 (2008.11.1現在) |
住所=豊岡市出石町内町 この時は、朝来市方面から国道312号を北上し、 上小田北信号の次の下小田信号で県道2号へ。 国道426号へ(福知山方面へ)右折。 (※この辺りは工事中だったから、道が変わるかも?) 次に保健福祉センター前信号で、県道2号へ左折。 柳信号で、県道2号へ右折。案内板に従ってすぐ左折。 少し先の左側に大手前有料駐車場があって、反対側が出石城。 |
出石城 | ||
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出石城は、慶長9年(1604)に小出吉英によって山頂の城を
廃して築かれたもので、一国一城制による但馬唯一の城である。
平山城に分類され、梯郭式といわれるように、有子山の麓に
上から稲荷郭、本丸、二の丸、二の丸下の郭、三の丸と
梯子を立てかけたように城を築いている。
また東には、山里郭を設けて有事に備え、三の丸の周囲には
山から堀切で水を引き、内堀を巡らせ、北に大手門、東西にもそれぞれ
東門、西門を設け、天守閣は築かなかったが、隅櫓や多門を設けて
要害とした。
城主は、小出氏が9代(100年)・松平氏1代(10年)・仙石氏7代(160年余)
と続き、明治の版籍奉還まで270年間5万8千石の本城として、
また但馬第一の雄藩として威容を誇った。
最上段の稲荷郭には、城の鎮守稲荷神社を祀り、本丸、二の丸には
広壮な御殿を建て、渡り廊下で連結させていた。
また本丸には、仙石公の藩祖、仙石権兵衛秀久を祀る感応殿や、
昭和43年に復元した東西隅櫓があり、往時の面影を偲ばせてくれる。
(出石町観光協会の案内板より)
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三の丸 | 有子山 | 三の丸と下の丸との堀跡 |
大手前有料駐車場の反対側にある城跡。 (真ん中)後ろにそびえるのは有子山で、有子山城跡でもある。 | ||
登城橋と登城門 | ||
三の丸から下の丸へ向かう登城橋と登城門。表(真ん中)&裏側(右)。 | ||
下の郭の石垣 | 下の郭 | 西の郭 |
登城門をくぐって左側が下の郭で、右側が西の郭。 (右)西の郭から登城門方面を。何にも無くてスッキリ。 | ||
二の丸 | 本丸の西側隅櫓 | 本丸の東側隅櫓 |
隅櫓が、格好いい〜(^^) ちなみに、二の丸にトイレがある。 有子山から下山した時には、とてもありがたかった(^^) | ||
(左)西の郭から、二の丸の石垣と本丸の西側の隅櫓。 (右)二の丸から、本丸の東側の隅櫓。どっちも格好いい〜♪ | |
東側の曲輪(山里郭かな?) | ||
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二の丸の反対側の東側の曲輪。 棒が立っていたけど、関係なかった…。 (真ん中)左の写真のアングルを変えて。 | ||
本丸 | 稲荷曲輪の石垣(西側) | 稲荷曲輪の石垣(東側) |
本丸西側には、仙石氏の祖・権兵衛秀久公を祀る感応殿が建つ。 それにしても、背後の稲荷曲輪の石垣は圧巻! | ||
本丸の東側隅櫓 | 城址碑 | 本丸の西側隅櫓 |
説明版によると、町の人々が本丸を権兵衛さんと 呼ぶんだとか。 そこまで親しまれるのって、凄いと思う。 | ||
感応殿(本丸) | ||
この社殿は、感応殿といい、出石藩主仙石氏の祖・ 権兵衛秀久公を祀っている。 公は、美濃(岐阜)の人で、豊臣秀吉に仕えて功があり、 洲本、高松の城主となり、一時勘気を受けて浪人したが、 小田原攻めで奮戦し、小諸城主に返り咲いた。その豪勇のほどは、 大盗賊石川五右衛門を捕らえた豪傑として、伝説化されている。 仙石氏は、公の後、子の忠政が信州上田に移り、玄孫政明が 宝永3年(1706)に、出石に移封されて5万8千石を領し、 以来廃藩まで7代163年間続いた。 明治に入って、旧家臣らによって本丸跡に公を祀る感応殿が 建立され、今日に至っている。 以後町の人々は、本丸を権兵衛さん又は円覚(法名円覚院殿)と 愛称を持って呼び、例祭は5月6日の祥月命日に行われている。 (出石町教育委員会の案内板より) | ||
稲荷曲輪 | ||
稲荷曲輪は、神聖な雰囲気漂う。 ここから、出石城下を見下ろすことができる(^^) ちなみに、有子山の登山口がある。 | ||
本丸から稲荷曲輪へ向かう道側から見た稲荷曲輪の石垣。 苔むしてて素敵〜!どの角度もいいっ(≧▽≦) | ||
辰鼓楼 | ||
辰鼓楼は、明治4年(1871)旧三の丸大手門脇の 櫓台に建設された。藩士が登城する辰の刻(午前8時)を 告げるため、太鼓を打ち鳴らしていたのにちなんで、 現在では午前8時・午後1時に太鼓が、夕方には梵鐘がなる。 山頂に城が築かれていた「有子山」の名前をとって、 これを「有子のしらべ」と呼んでいる。 午前1時の太鼓の音を聞いたんだけど、 重い音だった。 |
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大手門跡 | ||
辰鼓楼の横に、大手門跡がある。 朝だから、人が少なくてよかった♪ (真ん中)大手前通り。(右)横の水堀。 | ||
家老屋敷(左京屋敷) | ||
この屋敷は、元出石藩家老仙石左京の居館跡で、
長屋門の奥に木造で一見平屋建に見える細長い建物が
その居宅だが、隠し二階があり不意の襲撃にも備えている。
左京は、藩主仙石氏の支族で、1500石の知行を受け、
大老も勤めた人物で、博学多才だった。
幕末期の窮乏した藩財政再建に、新政策を打ち出し
努力したが、守旧派に総反発を受け、遂に幕府が
裁断により、天保6年江戸鈴ヶ森の露と消えた。
世に仙石騒動と呼ばれた左京は、お家乗っ取りの
極悪人に仕立てられ、日本三大騒動として、
芝居や講談で世上を賑わせた。以後、出石藩は
知行となり、3万石で明治を迎えた。(案内板より)
(左)家老屋敷。(左下&下真ん中)家老屋敷長屋門。表&裏。 (右下)敷地内。 |
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西門 | 西門と内町通り | 出石皿そばは… |
4代政明公は、大変そばが好きで、
宝永3年(1706)出石の松平忠徳公と
お国替えで出石に入部の際、信州一
の蕎麦職人を伴われ入国。蕎麦職人
の技法が在来の蕎麦打ちの技術に
加えられ、誕生した。後、出石焼の
小皿に盛り付ける「出石皿そば」に。
(出石そば発祥の由来の碑より)
←この時は、西門横のお店で食べた♪ |
■出石城
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