【左】大手橋手前の鶴丸城跡の碑。
【真ん中】大手橋から東〜北東方面。
【右】大手橋から南方面の石垣を。
現在地には、大手門にあたる御楼門があったが、明治6年12月に城とともに焼失した。 (鹿児島県歴史資料センター 黎明館の案内板より・古絵図も)
【左】大手橋から御楼門跡。
【右】大手橋から御楼門跡。桝形を通って右折れ、すぐ左折れに。礎石もあった。
【真ん中】左上の写真の右の石垣。
【右】左上の写真の左の石垣。たくさんの穴は弾痕かな(@@)
【左】桝形から右折れ、左折れ。
【真ん中】桝形から大手橋方面。
【右】下真ん中の写真の左折れになる手前から。左に行くと大手橋。
【左】御楼門の桝形から黎明館の正門を。
【真ん中】正門から桝形を。
【右】本丸から。七高時代の門柱が残る。
【左】館内の志布志城と出水外城の大きな模型が見ごたえがある!
【真ん中】リアルな顔つきで、怖い(^^;)
【右】聚珍寳庫(しゅうちんほうこ)碑。
第七高等学校造士館にまつわるもの。 【右】七高ゆかりの楷の木・竜舌蘭。
【左】左の建物は黎明館。
【真ん中】礎石の跡にツツジを植えているそう。
【右】南西から二の丸方面を。
平成11年(1999)8月、石垣の補修事業に伴って実施された埋蔵文化財の発掘調査で、 現地表面下約1mの地点で発見された櫓の基礎の一部分である。 「御角櫓」は本丸の南東角に位置し、城の防御とともに美観や威厳を保つ役目を持つ施設だが、 明治初期の資料では、「御角屋蔵」と表現され、物品収蔵施設としての用途もあったものと思われる。 元禄9年(1696)焼失し、幕府の許可を得て再建されたが、明治6年(1873)の大火で再び焼失した。(案内板より・古写真も)
鶴丸城 2012.5.1記
駐車場へ向かうと、管理事務所で黎明館の利用を聞かれた。 勿論、見学予定だったので、問題は無く(^^) 最初に、屋外展示を見学、本丸の石垣を見た後、黎明館へ。 堀とセットの石垣は立派で、御楼門跡の石垣も素敵だし、北東隅の鬼門除けも良かった(^^) 弾痕と思われる穴を見ると、少し怖さも感じた(^^;) 黎明館は、楽しかった!シンボル展示の「志布志の山城」や「出水外城」の模型が凄く良くて、 色々な方向から眺めてた(笑)館内が撮影禁止だから、写せなかったけど、本当に良かった♪ 「昭和初期の天文館」も不思議な奥行きに見入ってしまったり。 西郷隆盛にまつわる物等も見られたりと、見所満載だった(^^) ところで、石垣を見学中、「?」な事が多くて。まず、コンタクトの調子が悪い。 「目が痛い。」「治った。」の繰り返し。 そして、曇りだけど雨が降っていないのに、傘を差すカップル。ブラウスの黒い点…。 それの答えが分かるのは、見学を終え、車へ戻ってから。なんと車が真っ白(@@;) 火山灰が飛んで来ていたらしい!本当に、火山灰って飛ぶんだ…と実感。 パタパタと車の灰を落として乗りこんだけど、本当にビックリした。 ちなみに見学時間は、黎明館の見学時間も含めて、約1時間10分。