宮城県 多賀城 |
■多賀城=見学無料 駐車場=それぞれ無料 (2005.5.1現在) |
住所=多賀城市市川城前地内 (この時は、七ヶ浜町からの45号からの アクセスで、凄く迷いながらなので参考程度にとどめて下さい。) 多賀城駅方面へ進むと、東北歴史博物館、 多賀城跡と案内看板が出ていて、 それに従って進んだ。そのうち中央公園の間を通り、 その後すぐ右に、南門跡がある。駐車場はあるが、 狭くて急坂の為、車の下をする事があるので注意。 政庁跡はそこを過ぎると信号があって、右折、 すぐ左折し進んで行くと、石碑等が並んでて そこの右に駐車場があった。 |
多賀城 | ||
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多賀城は奈良の平城京、福岡の大宰府とともに日本三大史跡といわれている。 多賀城は、今からおよそ1200数年前の奈良時代(8世紀)に東北地方の一大中心地 として国府と鎮守府が置かれ、平安時代以降も国府として南北朝時代(14世紀) まで続いた。多賀城跡はおよそ1km四方の広さを持ち、その中心からやや南寄りに 東西100m、南北200mほどの長方形に築地のめぐらされた内城跡がある。 発掘調査(昭和39〜44年度)の結果、内城地区は、奈良〜平安時代に4回の 造営が行われている事が確かめられた。地方の政治施設としては、 大宰府を除いて、これほど整った宮殿風の建築は類が無い。 内城跡の東南1kmにはこの多賀城に附属した多賀城廃寺跡があり、 昭和41年4月多賀城跡とともに特別史跡に指定されている。 (案内板より) | ||
政庁復元模型 | 多賀城の模型 | |
政庁は多賀城のほぼ中央にあり、 陸奥国府の重要な儀式等を行った 所。周囲が築地塀で囲まれ、その 中心に正殿、東西前方に脇殿が 配されている。これは、発掘調査 結果に基づき、第U期(8世紀後半) の建物について推定復元したもの である。(案内板より) (右)外郭南門跡にあった模型。 |
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南門跡(第U期-8世紀後半) | ||
政庁の南正面の門の跡。この時期の門は礎石式の八脚門で、 その東西妻側には、翼廊が取り付く。現在は基壇部分のみ復元表示。 (案内板より) | ||
西翼廊跡 | 西南建物跡 | 西脇門跡 |
南門の左側が西翼廊跡、東側が東翼廊跡。 まず、時計回りで西側を紹介。 | ||
第V期西脇殿跡礎石 | 北西門跡 | 第W期後殿跡礎石 |
正殿跡(第U期−8世紀後半) | ||
政庁で最も重要な建物の跡。この時期の
正殿は礎石式の四面庇付建物で、 その南は石敷広場である。現在は 基壇部分のみ復元表示している。 (案内板より) (左)第U期の政庁の復元図。 |
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多賀城祉碑 | 石敷広場跡 | スミレ |
東翼廊跡 | 東南建物跡 | 東脇門跡 |
南門の左側が西翼廊跡、東側が東翼廊跡。 ここでは、反時計回りで東側を紹介。 | ||
東脇殿跡 | 北東門跡 | |
(第U期-8世紀後半)正殿とともに 政庁の中心となる建物の跡。この 時期の脇殿は南北妻側に築地塀 が取り付く。現在は基壇部分のみ 復元表示している。(案内板より) トイレがあった。助かったぁ(^^;) |
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