太鼓櫓跡&新櫓跡 | 太鼓櫓跡 | |
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太鼓櫓跡と新櫓跡は一緒の石垣だけど、石段で小学生を率いる 先生がお弁当を食べてて、全体が写せず(^^;) | ||
新櫓跡 | 二の丸 | |
仕方ないから、それぞれ別々に。風はあるし、おまけに雪が降るから、 少しでも寒さ対策をしていたのかも〜(^^;) | ||
十五間多門跡 | 本丸の石垣 |
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十五間多門跡から入って左に、石段と本丸の石垣が!! 凄く大きいから、後ろに下がりつつ写したよ(^^) | |
本丸の石垣 | |
大きな木をよけると、下にちょこんと姿を現すのが、 高取城址碑。右は横から。ダイナミックさにため息ものだ。 | |
本丸へ行くのに… | 天守閣跡へは… |
本丸へ行くのに、左の写真の道を進んで行くと、
右の写真のように右側に天守閣へ行く道があるんだけど、 目の錯覚(?)なのか、左だけしかないと思った(笑) 後から気付いたんだけど。 石垣に翻弄されてる(笑) |
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本丸 | |
本丸は三重の大小二棟の天守閣と鉛櫓、煙硝櫓を
多聞櫓(塁上に設けた細長い単層の櫓)と
塀によって接続する。これを連立式形態といっている。
東西四十間余(約73m)、南北三十五間(約64m)の凸字型の
平面を成している。地型の変化に対応して築かれた山城は、
自然に不規則な縄張りとなる。
しかし、この本丸は平城城郭のような整然さを有するので
築城技術の完成した頃の構築とみなされる。
昭和47、48年度の県教育委員会の高取城修理にともない、
本丸東北隅の部分を対象に、石垣の実測、根石の状態を調査したが、
石垣のひずみの部分は後補のものであり、隅石には転用材を
使用している事が明らかになった。転用石の中には漆喰の付着した
石が二箇検出され、切石古墳の石を使ったものと想定されている。
漆喰については、分析によると桜井付近の古墳漆喰の分析値と
似ていると報告されている。
また、本丸鉛櫓下の背面に補助的に設けられた付台石垣の
下に配列された胴木の存在は、山城での遺存例として現在のところ
唯一の発見例で注目すべきものである。
(奈良県教育委員会の案内板より)
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左へ向かって本丸へ | 本丸 | |
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本丸へ続く石垣(笑) | 本丸の端だけど煙硝櫓かな? | 下を見ると何か跡らしきものが。 |
天守閣跡の虎口 | 天守閣跡 | |
天守閣跡には先客の小学生。「高〜!!怖〜い!寒〜い!」の連発(笑)標高の高い所&雪が舞っていたからね〜。 | ||
天守閣跡&天守閣跡から新櫓方面を見下ろす | |
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本丸にいると、二の丸から見るほど高い場所だと思わないんだけど、 見下ろすと!!あの大きな木の頭がそこに!! | |
天守閣跡から見た複雑な虎口までの石垣 | 本丸の石垣を横から |
それにしても、標高が高いのに、よくぞここまで作ったな〜って感心しきり(^^) 是非、このままあり続けて欲しいなぁ。 | |
■高取城
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