【入道埼灯台】

秋田県 入道埼灯台  あきたけん  にゅうどうざきとうだい
■入道埼灯台
■灯台と灯台資料展示室
入館期=9時〜17時(5月〜10月)
入館料=大人 150円
駐車場=無料駐車場(売店前)   (2003.5.4現在)
住所=男鹿市北浦入道崎
この時は、国道101号線から県道55号線を 走った。途中でなまはげラインを走ると早い。

入道埼灯台
入道埼灯台は、明治31年(1898)11月1日に本州北西沿岸を航行する 船舶の道しるべとして完成点灯された。現在の灯台は、昭和26年に改築されたもの。昭和48年11月30日、 この灯台の北北西方約1080m前方の水島に設置してある標柱を 照らす照射灯(60cm キセノン灯光器、1800万カンデラ) が併設され、航路標識の機能が一段と強化された。
この灯台には、無線方位信号所が併設されているほか、 船舶気象通報業務を実施している。 昭和60年に機器の自動化が行われ、現在は無人で運用している。
【施設の概要(周知板より)】
    位置    北緯40度00分9秒
           東経139度42分18秒
 塗色及び構造 白地に黒横帯3本塗 塔形 コンクリート造
    灯質     単閃白光 毎15秒に1閃光
    光度    150万カンデラ
   光達距離  20海里(約37km)
     高さ    地上〜頂部 27.9m/水面〜灯火 57m
「北緯40度のモニュメント」
写真は静かな雰囲気だけど、風が凄く強かった! 髪の毛がボーボー(^^;) 北緯40度のモニュメントは、 男鹿半島で産出される「安山岩」で造られてる。 下の地図石の手前にある。これに、モニュメントの名称が記してある。
真ん中は「地図石」という名称。
(左)北斗の石→(真ん中)真ん中北緯40度のモニュメントがあって、 (右)ぽつぽつ続く真北のライン(^^)
北斗の石方面を。灯台が
あんなに遠くに!よく歩いたぁ。
最後の石結構大きい!「四」の字に
150cmの私の頭が、届く位。
最後の石の隙間から。ちらっ。
「入道崎」&海 「北緯40度のライン」案内板 入道埼灯台の入口
海がキラキラきれい!逆光で
「入道崎」の字が見えないな。
道路際に、標識があった。 道を挟んだ向こう側に駐車場。 お土産屋さんや食事処がずらりと並んでる。 北緯40度00分つながりで、
陸中黒埼灯台 (←クリック)
北緯40度00分15秒なのだ。
菅江真澄翁と男鹿半島
江戸時代の紀行家で知られる三河の人・菅江真澄は、 信濃・東北・北海道と、50年近い歳月を旅に送り、 仙北群角館の客舎で76歳で亡くなった。 真澄が男鹿半島で書いた日記「男鹿の五風」は、 往時の男鹿を知る重要な文献ともなって愛読されてきた。 [男鹿の秋風]には、文化元年8月半ば、 滞在していた久保田(秋田市)を出て男鹿半島を南下し、 門前から本山に登り、赤神山日積寺に詣でた 事が書かれている。[男鹿の春風]には、文化7年 3月半ば、真山光飯寺の参詣など、北浦周辺を 巡遊したことが書かれている。[男鹿の涼風] は文化7年6月半ば、北浦から入道崎を巡り、 戸賀の浜にいた所までで終わっている。 [男鹿の島風]はこの年の盆行事を戸賀塩戸の浜で迎えたところから、 丸木舟に乗り、巡って見た西海岸の奇岩、奇景を図絵として、 外浦の優れた風物を伝えている。また [男鹿の寒風]は同じ年の8月27日、男鹿中で遭遇した男鹿地震の 生々しい様子を伝えている。いずれも多くの図絵を入れて 男鹿半島の風物をよく著している。(案内板より)

■なまはげ
道路側の野原にあったベンチに、なまはげが座っていた。勿論人形なのだが、 頭が無かった‥‥。記念撮影をする時にだけ、取り付けるのだろう。帰る時に、 もう1度見ると、頭が付いていた(@o@)!ちなみに、頭の付いたなまはげは、 お土産屋さんの所に立っている(^^)
■北緯40度のライン
始めはあのポツポツの石は何?って思ったけど、灯台から端っこまでかなりある。 灯台を先に見に行って、てくてく‥と歩くと案外、灯台から遠い。でも最後の石に たどり着くと、何だか嬉しかった。単純(笑)しかも結構大きくて、「四」の字に 150cmの私の頭が届く位。なもんで、最後の石の隙間から見るのが大変だった。
■北緯40度00分9秒
北緯40度00分つながりで陸中黒埼灯台北緯40度00分15秒なのだ。
入道崎の次に行ったんだけど、不思議な気持ちになったなぁ〜(^^)

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