おおいたけん さいきじょう
■佐伯城(別名=鶴屋城、鶴城)=見学自由
■城山公園
駐車場=無料駐車場(佐伯文化会館)
(写真)本丸から廊下橋、奥の二の丸の石垣を♪
2011/5/1現在
住所=佐伯市(城山)
この時は、東九州自動車道 佐伯I.Cを下りて、県道36号を佐伯市街方面へ右折。
陸橋を渡った後、国道217号(佐伯方面)へ右折。
大手町(…だったと思う。とにかく、佐伯文化会館方面へ。)で左折、
突き当たりの左側に駐車場。
【縦の絵図】(クリック→拡大)麓の山側に接している所が、三の丸。そこから下にのびるのが、内馬場通りで、その端が大手門跡。
城山山頂の城址は、海抜140m、遠く近く南豊の山々を巡らし、番匠川は曲がりくねって佐伯湾に注ぎ、 遥かに豊後水道を隔てて四国の島山が霞んで見える。
眼下には、県南の政治・経済・産業・文教の中心都市、 人口5万の佐伯市街が広がり、展望絶佳、歩いて15分で登れる景勝の地である。 慶長6年(1601)4月、日田より入封の初代毛利高政は、この地を相して佐伯荘2万石の本拠地と定め、 まず山頂に築城の工を起こし、城下町の建設にかかった。 3層の天守を持つ本丸を中心に、二の丸・西の丸を西南にのばし、北の丸を東北に広げ、 あたかも舞鶴の翼を張った姿に自(おのず)と鶴屋城と名付けられ、また鶴城と呼ばれた。 城は4年後の慶長11年に完成したが、程なく失火により本丸・二の丸を失い、その復興をあえて行わず、 寛永14年(1637)山麓に三の丸を開き、おおいに殿館を営んで、以来200数十年、佐伯藩政は専らここで執られた。 それは、山城の不便さを避けての事である。そして明治初年の版籍奉還、廃藩置県によって廃城となった。 今は城郭の遺構としては僅かに三の丸櫓門を残すだけあるが、なお城跡を示す石垣は殆ど完全に残り、 城址公園として市民に親しまれている。(佐伯市教育委員会の案内板より・ 左&左下の絵図が、観光圏整備事業の案内板より・左上&右下が佐伯市観光協会の案内板より)
8代藩主高標(たかすえ)は、藩の文教をすすめる為、安永6年(1777)城内に一大学舎を新築し、 これに名付けて「四教堂(しこうどう)」といった。名称の由来は「礼記」にある詩・書・礼・楽の教えとされ、 また「論語」にある文(学問)・行(徳行)・忠(忠実)・信(誠心)の教えともいわれている。 玄関ノ間の床には、文宣王(孔子)の聖像がかかげられて、四教堂教学のよるところを明示していた。 そして、四教堂に隣接して、直心影流稽古場を開き、文武両道の教育を奨励した。 これより佐伯藩の学芸は、興隆し多くの人材を輩出した。(「佐伯市史」よりの案内板より)
【右】佐伯泰英の時代小説「密命」のドラマに合わせたものらしい。ビックリした(笑)
【左】四教堂跡付近から大手門跡を。標柱も立つ。
【真ん中】大手門跡から遠景を。正面の山に、本丸等のメインの城跡がある(^^;)
大手門跡から続く内馬場通りを進むと三の丸で、三の丸櫓門がある。
【右】振り返って。
【左】内馬場通りの小学校の門で、四教堂の字が掲げられていた。
【真ん中】佐伯文化会館の駐車場。
【右】三の丸。
この櫓門は、藩主の居館が山頂から三の丸に移った寛永14年(1637)に、藩庁の正門として創建された。 近世城郭建築の遺構として、城下町佐伯の面影を伝えている。(佐伯市の案内板より)
【左】内馬場通りを進むと、正面に両側の石垣に挟まれた櫓門が♪
【右】櫓門の内側と桝形を。結構、大きい(^^)
【左】瓦には、丸に矢筈の紋。
【右】櫓門を正面に、右側の石垣を。この奥に続く石垣付近に、たくさんの案内板が並ぶ(^^;)
ここにも、佐伯泰英の時代小説「密命」のドラマの立て看板が。
■佐伯藩8代藩主毛利高標は学問を奨励し、安永6年(1777)城内に藩校「四教堂」を創立、
天明元年(1781)三の丸に「佐伯文庫」を創設し、書物奉行を任命した。
■高標の収集した蔵書は8万巻にもおよび、大部分は中国(宗・元・明・清)の本であり、
分野は儒教の四書五教をはじめ歴史書・詩文・仏典・医学書・数学書・天文・生物学などと多岐にわたる。
またオランダ語やフランス語で書かれた植物書や医学書・世界地図など西洋の本も含まれていた。
■文政7年(1824)10代高翰の時2万巻余りが幕府に献本され、現在は、宮内庁書陵部・国立公文書館・内閣文庫・国立国会図書館に保管されている。
佐伯に残された書物は明治以降に散逸し、毛利家から寄贈された2900余冊が佐伯市に保管されている。(四教堂塾建立の碑より)
【左】佐伯文庫跡の碑より。
【真ん中】文化会館からこの辺りが三の丸。写真は、佐伯文庫跡付近。
【右】歌碑かな?
【左】村上勇先生の像。
【真ん中】矢野龍渓顕彰碑。
【右】説明板の裏側に見られた石垣(写真真ん中)。名残り?
【左】櫓門を正面に、右に続く石垣。ここに、沢山の案内板が立つ。
【真ん中】左の写真付近。搦手門跡?
【右】入口の鳥居を、振り返って。
【左&右】この付近にいた愛嬌ある河童。手を近付けると、水が出るとのこと(^^) 勢いよく出るのかと構えていたら、低っ!驚きだ。
【左】城山への分岐点。左が、翠明の道へ、正面が登城の道、右が独歩碑の道。
【真ん中&右】この時は、下りを登城の道で。険しい!
【左】上りは、整備された独歩碑の道で(^^)ちなみに、本丸外曲輪まで約15分。
【真ん中&右】途中の広場。