おおさかふ いけだじょう
■池田城
■池田城跡公園=入園無料
開園時間=9時〜19時(4〜8月)
=9時〜17時(11〜3月)
休園日=毎週火曜、年末年始
駐車場=有料駐車場
【左】模擬天守(展望休憩舎)と池。(2006/11/23撮影)
2006/11/23現在
住所=池田市城山町3-46
この時は、大阪池田線11号を伊丹市方面から池田市方面へ進んで、川西小花ICを下りて、国道176号を大阪池田方面へ右へ。
すぐ川を渡って、西本町信号を国道176号へ右折。少し進んで、池田駅東口信号を9号へ左折(五月山公園方面へ)。
五月山公園前信号を右の9号へ、右側の五月山体育館を過ぎてすぐ右に、有料駐車場。
でも、右折進入禁止…。この時は無理やり入れたけど、安全に左からが無難(^^;)
【左】写真をクリック→拡大。(2006/11/23撮影)
■池田城跡の歴史と整備…池田城は室町時代から戦国時代にかけて、旧豊島郡(現池田、豊中、箕面市周辺)を支配していた国人・池田氏の居城だった。 池田氏は、15世紀の中頃から勢力を拡大し、当時の権力者であった摂津守護細川氏の家臣として、有力な位置を占めていたが、 戦国時代末期の永禄11年(1568)織田信長の摂津入国により降伏し、信長の家臣に組み込まれた。 その後、池田氏の内紛に乗じて旧家臣の荒木村重が池田城を支配し、村重が伊丹城を居城としたため、池田城は廃城となった。 この跡地整備の基本資料を得る目的で、平成元年度から4ヵ年をかけ発掘調査を行い、確認された枯山水、井戸、虎口(城の出入口) などの遺構を復元した。漆喰塀や櫓風の展望休憩舎、管理棟などの建物やデザインは、史実に基づかないが、城跡のイメージを演出させるものとした。 日本庭園は、深山の景、野の景、海の景の3つから形成され、自然の姿を水の流れで表現している。 歴史の保全と活用から、「城跡の歴史を感じられる憩いの場」として整備を進め、平成11年度に完成した。(池田市の案内板より)
駐車場から公園へ向かう途中の城山勤労者センターの池田城の展示を見に行こう♪と思ったら、祝日で休みだった(^^;)
【左】池田城跡公園碑。(2006/11/23撮影)
【真ん中】池田城跡公園へ。正面奥が東門。(2006/11/23撮影)
【右】木橋と東門。(2006/11/23撮影)
【左&真ん中】木橋から空堀。下からの高さがある木橋から空堀を眺める。モミジがきれいに色づいていて、きれいだった(^^)(2006/11/23撮影)
【右】真ん中の写真の左側側面。(2006/11/23撮影)
【左】木橋の先の東門。(2006/11/23撮影)
【真ん中】東門。正面に写る石像は「てるてる坊主の照子さん」。(2006/11/23撮影)
【右】内側から木橋方面。(2006/11/23撮影)
【左】池田城址碑。(2006/11/23撮影)
【真ん中】東門の奥に見えた石像。池田市に在住する石田一家をモデルとしたなかにし礼の原作のテレビ小説「てるてる家族」の文学碑だそうだ。
そうは言っても、テレビを見てない人にとっては、ただのてるてる坊主を模した石像で。って、どうでもいいか。(2006/11/23撮影)
【右】枯山水。(2006/11/23撮影)
【切り取り加工】模擬天守(展望休憩舎)から。写真左上方が東門、写真右側が虎口門。(2006/11/23撮影)
【切り取り加工】模擬天守(展望休憩舎)から。写真中央から右上付近が北門、写真右端が東門。(2006/11/23撮影)
【左&真ん中】北門を外側から。(2006/11/23撮影)
【右】内側から。(2006/11/23撮影)
【左】茶室。(2006/11/23撮影)
【真ん中】野草園。(2006/11/23撮影)
【右】紅葉。(2006/11/23撮影)