おおさかふ きしわだじょう
■岸和田城(別名=猪伏山ちきり城、千亀利城、蟄亀利城)
入場料金=200円
開館時間=10時〜17時(入館は16時まで)
休館日=月曜(祝日とお城まつり期間中は開館)、年末年始、その他臨時休館あり
駐車場=有料駐車場
【左】天守と庭園(八陣の庭)。
2006/11/23現在
住所=岸和田市岸城町9番1号
この時は、阪和自動車道 堺Jct〜堺泉北道路へ、助松Jctを左の泉佐野方面へ進み、岸和田南ICを下りて、府道29号を右折。
大北町信号(Y字)で、右の(国道26号方面の)39号へ。
堺町交差点で、府道204号を貝塚方面へ右折。道なりに走っていくと左側に石垣&堀が見え、近くに有料駐車場。
【左】案内板の写真をクリック→拡大。
建武元年(1334)楠木正成の一族和田氏が、当時「岸」と呼ばれていたこの地に城を築き、根拠地としたことから 「岸の和田氏」と呼ばれ、「岸和田」の地名の起こりになったといわれている。 その後、信濃氏、細川氏、三好氏、松浦氏が居城した。 羽柴秀吉は天下統一の過程で、紀州の根来寺などの勢力への押さえとして、中村一氏を城主とし、根来寺壊滅後は、秀吉の叔父にあたる小出秀政を 城主として、城や城下町の整備にあたらせ、慶長2年(1597)に天守閣が完成した。 江戸時代には、松平(松井)氏2代を経て、寛永17年(1640)岡部宣勝が入城、以来13代続き明治を迎えた。岸和田城の別称は「猪伏山ちきり城」。 「ちきり」とは、機のたて糸をまく器具で、本丸と二の丸を連ねた形が「ちきり」に似ているところから由来するといわれている。 また、城は「千亀利城」「蟄亀利城」とも書かれる。文政10年(1827)、雷火により五層の天守閣が消失し、昭和29年(1954)に三層の天守閣が復興された。 (案内板より)
【左】本丸西側の堀側から二の丸から本丸への土橋と城門方面。
【右】左の写真の奥からで、本丸北側の堀側から二の丸との土橋と城門方面。
【左】「千亀利城」「猪伏山」と書かれたものが両端に迎えてくれる。その奥の城門をくぐると本丸。
【真ん中】左の写真付近の岸和田城碑。
【右】二の丸から本丸への城門。
【左】二の丸から本丸への城門を裏から。
【右】本丸に入って左の隅櫓跡?城門から左側の道を進んでいくと、甲府城で見かけた石碑を小さくさせたような物が…(^^;)
最初は石仏か!?なんてちょっと身構えてしまう。
【左】城門をくぐって右折れは石段で。
【真ん中】左の写真の奥から城門方面。
【右】本丸隅櫓。内部は郷土資料館。スタンプがある♪
【左】(切り取り加工)天守から見下ろして。写真中央から左の緑の背の高い木に隠れているのが隅櫓。
写真中央から右側の長い屋根が城門。その上方が二の丸。
【右】右上の写真の隅櫓を堀を挟んで。格好いい!
【左】本丸隅櫓を角度を変えて。
【右】左の写真の左奥から。
【切り取り加工】土橋と城門と本丸隅櫓、奥に天守。この角度も素敵♪
【左&右】天守と庭園(八陣の庭)。
【左】八陣の庭。諸葛孔明の八陣法がテーマの庭園。
【右】天守の柵の上から写した八陣の庭はきれい(^^) 背の低い私には無理だったけど(^^;)