トロとまったり・tripのページ(波多親陣 その1)

佐賀県 波多親陣

さがけん はたちかしじん

■波多親陣(波多信時陣)
駐車場=無し
【撮影日】2019/1/4、2019/1/3、2018/1/4、2017/8/16。
【左】陣跡の東側の石垣。(2019/1/4撮影)

2019/1/4現在

住所=唐津市鎮西町名護屋
陣跡の東側へは、護屋城の南側の国道204号を西方面へ、国道204号を道なりに進んで、南部信直陣跡や木村重隆陣跡の標柱を過ぎた先の分岐を西へ。 進んだ先の分岐(左斜めの下り坂を進むと南へ)を進んで、次の分岐(左側にカーブミラーがある)を左折。 (※車では進めないので、分岐付近にとめて徒歩で向かった。) 陣跡の南側へは、東側へのアクセスと同じ、南部信直陣跡や木村重隆陣跡の標柱を過ぎた先の分岐を西へ。 進んだ先の分岐で左斜めの下り坂へ。(※狭そうだったので、徒歩で向かった。) 案内板は、国道204号の陣跡の南側へ向かう分岐を過ぎて南下、少し進んだ先の左側の堀陣にある。 (※ここで紹介するのは、アクセスの選択肢の1つです。)

波多親陣 ・ 案内板

【左】堀陣の西側にある案内板。(2017/8/16撮影)
【右】道の駅 桃山天下市にあった歴史探訪の道の案内板。9番の旗の所に案内板がある。(2019/1/3撮影)

【切取り加工】堀陣の案内板から見た遠景。って、遠景過ぎて微妙(^^;)(2018/1/4撮影)

■波多親(?生没年不詳)肥前国岸岳城主…波多氏は、玄界灘一帯を制した松浦党の有力一族であった。 豊臣秀吉の命により、文禄の役では渡海して戦っている。 しかし、文禄2年に何かの理由で豊後国の大友義統(よしむね)とともに改易されてしまう。その後の動向は不明。 なお、居城であった岸岳城には壮大な石垣が現在も残っているが、誰がいつ頃築いたものかは謎である。厳木町の獅子城にも、同様の石垣みられる。(案内板より)

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