さいたまけん はちがたじょう
■鉢形城=見学自由
■鉢形城公園
■鉢形城歴史館=200円
開館時間=9時半〜16時半(入館は16時まで)
駐車場=無料駐車場(開館日の9時〜17時)
2011.9.24現在
住所=大里郡寄居町鉢形
この時は、鉢形城跡の北側の正喜橋を渡って東へ進み、
鉢形城歴史館のPの案内板に従って、
1つめの信号を右折して県道294号を進み、
また案内板に従って右折、右側に駐車場入り口がある。
写真をクリック→拡大。
鉢形城の中心部は、荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上に築かれていて、天然の要害をなしている。 この地は、交通の要所にあたり、上州や信州方面を望む重要な地点だった。 鉢形城は、文明8年(1476)関東管領であった山内上杉氏の家宰長尾景春が築城したと伝えられている。 後に、この地域の豪族藤田康邦に入婿した、小田原の北条氏康の四男氏邦が整備拡充し、現在の大きさとなった。 関東地方において有数の規模を誇る鉢形城は、北関東支配の拠点として、さらに甲斐・信濃からの侵攻への備えとして重要な役割を担った。 また、鉢形城の周辺には、殿原小路や鍛冶小路等の小路名が伝わっており、小規模ながら初期的な城下町が形成されていたことが窺える。 天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めの際には、後北条氏の重要な支城として、前田利家・上杉景勝等の北国軍に包囲され、激しい攻防戦を展開した。 1ヶ月余りに及ぶ籠城の後、北条氏邦は6月14日に至り、城兵の助命を条件に開城した。 開城後は、徳川氏の関東入国に伴い、家康配下の成瀬正一(まさかず)・日下部定好(さだよし)が代官となり、この地を統治した。(案内板より)
【左】凄く広いので安心。左側の建物は休憩所。
【真ん中】ここから歴史館や城内へ。
【右】外曲輪。
休憩所の壁の各武将の家紋プレートを凝縮加工(^^)実際は、真ん中の写真のように横一列。
【左】鉢形城歴史館の駐車場の入口方面。
【真ん中】連雀小路から泉水坂の間。
【右】右が弁天社跡方面。
【左】弁天社跡方面だけど、草が凄過ぎて見えない…。
【真ん中&右】弁天社跡から南東側の土塁。
【左】(パノラマっぽく加工)伝逸見曲輪と空堀。
【右】大手口付近から三角池。
【パノラマっぽく加工】伝逸見曲輪を北東側から見たもの。真ん中の土塁奥が大手口、右側が三角池。
【左&真ん中】おくり泉水&土塁。草が多すぎて?状態。でも、土塁はよく見える♪
【右】二の曲輪側から。
【左】左奥が伝逸見曲輪方面、右側が二の曲輪と三の曲輪他との空堀。北條祭りかぁ…。気になるなぁ(^^)
【真ん中】左の写真の右側。空堀の屈曲、二の曲輪の土塁&平場の段差が良く見えて、格好いい〜(^^)
【右】二の曲輪側から空堀越しに、左の写真の右側を見たもの。こちらからだと、草が邪魔する…(^^;)