【寿能城】

埼玉県 寿能城 さいたまけん じゅのうじょう
■寿能城=見学自由
■寿能公園、大和田公園南側、交番前の城址碑
駐車場=無し(この時は大和田公園の無料駐車場
      を利用した。)      (2011.9.23現在)
(左)寿能公園。
住所=さいたま市大宮区寿能町2−155他
この時は、大和田駅の西側の県道5号を南下して、大和田公園入口信号 (大和田公園の案内あり)を右折。 そのまま坂を下って、左側にある大和田公園の市営球場の 駐車場を利用し、徒歩で向かった。

寿能城
寿能城は、永禄3年(1560)に岩槻城の支城として 築城されるが、天正18年(1590)に小田原攻めの豊臣秀吉の 軍勢に攻められ落城する。潮田橋の西方80mにある寿能公園は、 城域の一部であるといわれ、園内には潮田出羽守資忠の 墓碑が建てられている。ここから東方は、城の「出丸」と 呼ばれ、見沼の低地に突き出すような地形になっている。 約150m上流の寿能上橋を右へ進むと芝川を越え、大和田町へ 入る。坂を上がった一帯は、市内で最も標高の高い場所で、 寿能城・岩槻城と結びつきの強かった大和田陣屋があった。 寿能城を中心とする当地周辺は、中世の大宮の軍事拠点といえよう。 (さいたま市教育委員会・生涯学習部文化財保護課の潮田橋の案内板より)
(左)大和田公園の案内図。今回は、野球場の駐車場を 利用し、見沼代用水路、寿能公園、交番前の城址碑を見学。
本丸(寿能公園)
(左)大和田公園の東側。案内に「寿能城跡」♪ 案内の奥に見える所は、低くなっていて、この上が 1番最初の写真。
(真ん中)寿能公園入口。 (右)城主・潮田出羽守資忠の墓碑。城跡に関係する物だけど、 墓碑だから、遠くから(^^;)
城址碑 出丸
(左)県道35号沿いの寿能交番の前に立つ。 交番は留守中だったから、気がねなく撮影♪ この時は、寿能公園の
南側の道から西へ進んで、徒歩で交番へ向かった。 (真ん中)大和田公園の南側の出丸。 (右)出丸の土塁。
潮田橋&見沼代用水西縁
見沼代用水西縁は、江戸時代半ばに8代将軍徳川吉宗の 命を受けた井沢弥惣兵衛が、享保13年(1728)に 利根川の水を現在の行田市下中条から引いて造った 農業用水である。現在は、周辺の水田が減少したため、 飲料水としても利用されるようになり、大宮・浦和市境から 荒川へ送水されている。 「潮田橋」は、戦国時代の終わり頃、当地にあった寿能城の 城主・潮田出羽守資忠(すけただ)の名に因んで付けられたと 思われる。(さいたま市教育委員会・生涯学習部文化財保護課の案内板より) (左)潮田橋。(真ん中)寿能上橋から見沼代用水西縁を。 (右)寿能上橋のフェンスをのぞくと…あっ!バーバパパッ!

■寿能城
見る所が点在しているから、歩き疲れる(^^;) それでなくても、寿能城の前に大和田陣屋、島村家長屋門を 徒歩で見学しているし(^^;) それにしても、見沼代用水西縁のバーバパパはビックリした(笑) 通りがかった人も、「あんな所に!」って驚いてた(笑) ちなみに、のんびり歩いて見学時間は約45分。

坂を上がった付近に、大和田陣屋、島村家長屋門があるので、セットで見学がオススメ。
(別ページ。クリック→大和田陣屋島村家長屋門
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