【大和田陣屋】

埼玉県 大和田陣屋 さいたまけん おおわだじんや
■大和田陣屋=見学自由
駐車場=無し(大和田公園の体育館の駐車場を
利用した。)            (2011.9.23現在)
住所=さいたま市見沼区大和田町1丁目
この時は、大和田駅の西側の県道5号を南下し、 大和田公園入口信号を右折(大和田公園の案内に従って)。 右側の道路沿いに、説明板がある。 この説明板がある路地を進むと陣屋跡。 でも、駐車場は無いので、陣屋跡の入口を通り過ぎて、 左側の大和田公園の体育館の駐車場を利用して、徒歩で向かった。

大和田陣屋と伊達氏
この道は、西は寿能町を経て大宮の街中に通じ、 東は蓮沼や東宮下を通り、日光御成道に合流し、 東北自動車道岩槻I.Cの西側へ通じ、大橋で 綾瀬川を越えて岩槻市内へと結ばれている。 旧国道16号が開通する以前は、大宮と岩槻を 結ぶメーンストリートだった。道沿いに 江戸時代の年号が刻まれた石造物や各村々で 祭られた神社を目にすることができる。 当地一帯は市内で最も標高が高く、海抜 18.6mを測る地点がある。冬の晴れた朝には 秩父の山並みが見え、寿能町や土呂町の住宅を 見下ろすほどの高さがある。高所で周囲への 展望が良い所であったため、中世〜近世に かけては軍事拠点として利用され伊達陣屋・ 大和田陣屋などと呼ばれている陣屋が築かれていた。 陣屋の主・伊達与兵衛房実は岩付(槻)城主太田氏の 家臣で、当地は寿能城とともに岩付(槻)城の軍事拠点として の役割を果たしていた。 伊達与兵衛房実は、徳川家康が江戸に入った以降は、 家康に召し抱えられ、大和田の地を治めた。 今もこの道の周辺に高さ3mの土塁が残り、往時を 偲ばせている。塁上の一部には大木が茂り、 今も鬱蒼としている。 (さいたま市教育委員会・生涯学習部文化財保護課の案内板より)
説明板 遠景 土塁
(左)説明板の左側の路地を進むと陣屋跡。 (真ん中)路地の正面の家が陣屋跡。 (右)すぐに高い土塁が見られる!
土塁・南側 土塁・北側 体育館の駐車場
(左)民家を正面に、左側(南側)の土塁。 (真ん中)北側もしっかりした土塁! (右)ここから徒歩で向かった。

■大和田陣屋
体育館の駐車場を利用して、急坂を上がるのが大変だった(^^;) 既に、いろいろ城廻りをして疲れているのに(笑) でも、陣屋跡をめぐる土塁がしっかり見られてよかった♪ 南東の土塁横は、新築工事が行われていて、 塀で土塁が隠れないうちに見れてよかった(^^;) ちなみに、東に少し歩けば、島村家長屋門、 坂を下った南西に、寿能城がある。

(別ページ。クリック→ 島村家長屋門寿能城
【 埼玉のもくじ 】 上へ
下にメニューフレームが出ていない場合の、top へは→ top に戻る