【滝の城 その1】

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埼玉県 滝の城 さいたまけん たきのじょう
■滝の城=見学自由
■城山神社
駐車場=無し            (2011.9.25現在)
住所=所沢市城
県道179号沿いに案内が出ている。 (※この時は、複雑なアクセスに…。小金井街道の県道24号を清瀬市方面へ進み、 川を渡って2本目の信号を左折、金山公園入口信号を左折、 下宿センター前信号を左折、所沢市へ入り、道なりに進むと城山神社の鳥居。)

滝の城
滝の城は狭山丘陵の一角が低地に向かって落ちる急な崖を利用し、 東南方を流れる柳瀬川を防御線とした平山城で、 その敷地は約66,000㎡である。 現在でも本丸を中心とした遺構がよく保存されている。 本丸は柳瀬川を眼下に見下ろす城の東南部に位置し、 現在の社殿は櫓台跡の上にある。 本丸の北西には、空堀を隔てて二の郭的な曲輪があり、 城はこの方向に幾つかの郭を配したようで、 部分的に遺構が残存している。 また、大手はさらに北方に所在していたとみられている。 この滝の城は、北条氏照の持城と考えられ、 滝山城(永禄13年の戦いの後、八王子城に移る)の支城といわれている。 永禄7年(1564)の北条氏の清戸番衆交代命令状を見ても、 清戸下宿に番所があって固めてあり、 城の防備と密接な関係があったと推定される。 天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原城攻略の際、 落城したものと考えられている。 (埼玉県・所沢市の案内板より)
霧吹きの井戸跡 二重堀跡方面の道 城山神社
(左)草で見えにくいかな。 (真ん中)城山神社側鳥居側から。上部が二の丸。 (右)階段を上がって本丸へ。
本丸までの石段と竪堀
(左&真ん中)鳥居から続く階段を上がると本丸。結構、高い…。 (右)上がっている途中、左側に竪堀がある。
滝の城横穴墓群
昭和51年、滝の城跡の土塁の土砂流失を防ぐ保護工事の為、 斜面を掘削したところ、人骨と共に金環(きんかん…銅線を環状に整形し、 金メッキを施した古代のイヤリング)が発見され、 工事を一時中止して発掘調査を実施している。 発見された横穴墓は総数で九基を数えるが、 東側と西側の未発掘部分にも連続しており、 相当数が埋没していると推定される。 それぞれの横穴墓は、斜面上の比較的高い位置の標高41mに沿って構築され、 それぞれの間隔も5m内外に保たれていた。 その事は極めて規則性のある配置といえ、 計画的に構築順位を持っていたことが物語れる。 一号横穴墓は、玄室(げんしつ…遺体を安置する部屋)の 壁際一部を工事で削閉されていた事を除けば完全に残っていた墳墓であった。 入口部分は砂質泥岩の一枚の切り石で蓋をし、 さらに外側から小礫を積み上げ粘土で固定している。 内部には小礫を一面に敷き詰めていた。 ここからは二体の人骨と身に着けていたと思われる金環二点が発見されている。 この横穴墓群の築造時期は、四号墓から出土した須恵器から7世紀中ごろと考えられている。 (所沢市教育委員会の案内板より)
本丸
(左上)城山神社の社殿。
(上真ん中)土塁の高まりも。
(右上)鳥居の先は二の丸へ。
(左)ずら~っと並ぶ石碑等の1つ、
「瀧之城 本丸之跡の碑」。
字が見えないとお墓っぽい(^^;)
(右)ずら~っと並ぶ碑等の少し
控え目な位置の「滝の城址」碑。
本丸・四脚門跡
平成2年4月所沢市による発掘調査が行われ、 高貴な四脚門跡が検出された。 また、遺物(鉄砲玉、飾り金具、角釘)等が出土した。 門跡は北側、馬出し曲輪、三の丸に続く通路として引橋がかけてあったようである。 なお、天正18年(1590)落城に伴う火災のため、焼失している。 (滝の城跡保存会の案内板より・絵も)
 (左)今は木々だらけだけど、絵の門があったと思うと楽しい。 (真ん中)外側から。写真中央の高い所が門跡。
二の丸&空堀
(左)本丸から二の丸への土橋。
土橋の両側に空堀が続いている。
写真は、二の丸から本丸方面。
(右)左の写真の右側の空堀。
(左下)(パノラマっぽく加工)
左上の写真の土橋の左側を。
(右)二の丸は、低い土塁が巡る。
二の丸と三の丸方面の土橋
(左)二の丸から三の丸方面へ。 (真ん中)土橋と本丸(四脚門跡付近)の空堀。 (右)本丸から空堀を見下ろして。
(左)本丸から三の丸方面。土橋の先は馬出? (真ん中)二の丸方面。 (右)土橋からの空堀。素敵!

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