【久能山城】

静岡県 久能山城 しずおかけん くのうざんじょう
■久能山城
■久能山東照宮=350円(共通券あり)
(※この時は、ロープウェイ(往復)+東照宮+
         博物館=1550円の券を利用した。)
拝観時間=9時〜17時(4/1〜9/30)他は、16時迄。
駐車場=無料駐車場(日本平)  (2007.12.7現在)
住所=静岡市駿河区根古屋390
(この時は、日本平経由) 東名高速道路 清水I.Cを下りて、日本平方面の国道52号へ左へ。 次に、県道338号へ右折し、袖師信号(フェリー乗り場方面へ)を右折。 国道149号を三保方面へ真っすぐ進み、途中で道が国道150号にかわり、 清開三丁目信号で、日本平方面へ右折。 龍華寺信号を県道198号へ左折。少しして、日本平運動公園を右へ。 日本平さくら通りを通って日本平へ。後は、日本平ロープウェイ経由。

久能山
■久能寺…久能山には、古く平安時代初期に開創された 「補陀落山久能寺」(天台宗のち真言宗)があり、山の 上には多くの僧坊が建てられていた。久能山は、周囲を 断崖絶壁に囲まれた天然自然の要害の地をつくる孤立した 丘陵となっており、南北朝時代の観応の擾乱(かんのうのじょうらん) (1350〜1352)や室町時代の今川氏の内紛・花蔵の乱(1536)などに 際しては、兵が立て籠もることがあり、次第に寺院城郭としての 一面を持つに至った。
■久能山城…駿府に攻め入った武田信玄公は、永禄2年(1569)に、 要害の地久能山にあった寺院を移し、本格的な山城を築いた。 この久能山城は、武田氏の北条氏・徳川氏への備えの拠点として、 重要な役割をになった。
■久能山東照宮…元和2年(1616)4月、大御所徳川家康公が 駿府城にて薨去(こうきょ)。家康公の遺言により、 御尊骸を久能山に埋葬。2代将軍秀忠公が、山の上に本殿等 諸建造物の造営を命じ、久能山城を廃して、久能山東照宮を創建した。 このように久能山は、寺院・城郭・神社という宗教、戦略上の 重要な拠点として、歴史の表舞台に登場したのであった。    (案内板より・絵図も)
ロープウェイ 二の丸の石垣 本丸
大御所400年祭ということで、
ロープウェイも特別仕様!
ロープウェイ・久能山駅横の 二の丸の石垣と、推定樹齢500年のクスノキ。 縄張り図を見ると、本殿などが
ある所が、本丸になるらしい。
神廟裏の土塁 勘助井戸 門衛所
神廟裏の辺りが、愛宕曲輪になる。
この写真は、神廟の左側の土塁で、 神廟は、久能山東照宮のページで。
この井戸は、戦国時代に山本勘助が掘ったといわれ、 今から約400年前の久能山城を語る貴重な文化財である。 深さ33m、石垣積み。(案内板より) 江戸時代、久能山の門を守る与力がいた番所で、 ここで登拝者を制限した。 今回、老朽化のため、復元解体修理を施し、保存したもので、 この種の建物は全国でも少なく貴重なものである。 (案内板より)
石段を振り返って 一ノ門(大手門跡) 景色(駿河湾)
右上の門衛所は、紅葉がきれいで、 一ノ門は、光の当たり具合がよくて、 海はきれいだし、大満足の写真が写せた♪


■久能山城
丁度、大御所・400年祭ということで、葵の紋付きのロープウェイに、 乗ることができた(^^)徳川ゆかりの場所に、徳川仕様というのは、 嬉しい♪(アンケートに、ロープウェイの外観の項目があったから、
もしかしたら、この先、このままの可能性も。)ロープウェイで悠々と 久能山へ。駅に到着すると、二の丸の石垣を見ることができる(^^) 1番上で使った写真がその石垣。 他は、跡くらいで…。でも、久能山東照宮や博物館などもあるので、 散策するのは楽しかった〜(^^)



(別ページ。各クリック→  久能山東照宮日本平 )
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