トロとまったり・tripのページ(千本城 その1)

千葉県 千本城

ちばけん せんぼんじょう

■千本城
■北野神社
駐車場=登城口手前付近に駐車スペース
(写真)登城口(北野神社入口)。

2017/4/7現在

住所=君津市広岡
久留里線 上総松丘駅の北側の国道410号の分岐の信号で、上総松丘駅の東側の久留里街道の国道410号を南下。 少し先の左側の路地入口に小さな千本城の案内と入口の碑が立ち、そこから入ってどんどん進むと右側に駐車スペース、左前に登城口がある。

千本城

■北野神社…御祭神 菅原道真公
創立年度は不詳であるが、古老の口碑によれば長享二戌申年、里見刑部小輔(義實・義実)が創立したとなっている。 本社の境内は元里見家の城址で要害と謂われる処で、東北に新耶という地があり、北方には断崖があって八反崖という。 そして、東南には兵庫谷という地があり、武器を入れた倉庫の跡がある。
道真公は、平安時代初期の人で、学問の名家に生まれ、文章、詩歌に勝れた才能の持ち主で、また政治家としては、右大臣(死後太政大臣の称号を贈られた)になられ、 教養があり、立身出世をした人で、学問の神様、文化の神様とも仰がれていた。 道真公は、出世をねたんだ藤原氏の画策によって、九州の太宰府に左遷され、さびしい生活のうちに延喜三年59歳で此の世を去る。 その後、天神様の縁日は、毎月廿五日とされているが、それは道真公の誕生と死去の日が廿五日に当たるためである。神紋の梅は、道真公が好み愛された花で
東風吹かば においおこせよ梅の花 主なしとて 春を忘れそ
と句を詠み配所に行っている事は有名である。 また、道真公が丑年生まれで、牛を大切にされたとも伝えられている。 清書奉納筆塚に使い古した筆を納める風のある事は、公が書道の神としても崇められるためである。 撰文 宮司 白熊貞三 平成五年三月二十五日 (北野神社にある碑より)
※「東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 主なしとて 春を忘るな」 「東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」とも違いますが、碑のままにしました。

久留里街道・国道410号から城跡へ

【左】久留里街道・国道410号から城跡への入口。ここから城跡へ。写真は南から撮影したもの。
【真ん中&右】千本城址の案内と千本城跡入口の碑。

【左】土塁の間を進んで城跡へ。不思議な感じ…。
【右】(パノラマっぽく加工)鳥居が見えた気がしたから神社かな? 気になる土塁の傍の「この先通り抜け出来ません」の看板に進んでいいのか不安になったけど、進んで行くと駐車スペースがあった。

登城口(北野神社入口)付近

【左】北野神社(木の板)、千本城址(左上の白い案内)の所から登城。
【右】左の写真の登城口(北野神社入口)よりも手前の右側にある駐車スペース。崩れそうで怖い(^^;)

【左】駐車スペース側から登城口方面。
【真ん中】北野神社の案内の下に「この先私有地につきハンターの立入を禁止します。」と。ハンター!?
【右】左の写真の正面の道。登城口から上がったので、この先は行かず。

登城口(北野神社入口)から上がって…

【左】登城口から少し上がって見下ろして。駐車スペースが見える(^^)
【真ん中】岩盤の間の階段を上がって。
【右】岩盤の間の階段を上がった所が女坂と男坂との分岐らしい。写真は男坂側から。

【左】こちらから行くと女坂なのかな?ヤブが凄そうだったんだけど(^^;)
【真ん中】この時は、男坂側から向かった。
【右】上がった先は少し広くなっていた。

【左】右上の写真の広くなった先の奥を上がって…。
【真ん中】右の写真の斜面。
【右】もう少し上がって…。

【左】上がった先を折り返すと、急な階段!本気で嫌になった…。ここまで来たならと頑張ったけど(^^;)
【右】見下ろして。下が見え辛いなんて、どれだけ急なんだ…(@@;)

▲上へ戻る