トロとまったり・tripのページ(米子城 その1)

鳥取県 米子城

とっとりけん よなごじょう

■米子城(別名=久米城、湊山城)=見学自由
駐車場=無料(湊山公園)

2005/8/13現在

住所=米子市久米町
(この時は、安来市方面へ向かう方向で走っていた) 国道9号を市内方面へ走り、公会堂前交差点を過ぎて、 米子市役所を過ぎて少しして、久米町交差点を右折。 少しして(すぐかな?)左に駐車場がある。 朝早かったためか、どうだかは分からないけど、 閉っていた。でも手で開けられるようにはなっていたので、 動かして入った。

米子城

米子荒尾氏10代の成裕が「梅雨晴れや朝日に匂う久米ヶ城(くめがじょう)」とうたった米子城本丸の偉容は、藩主が居城していた鳥取城を凌ぐものがあった。 元和元年(1615)に江戸幕府が発した「一国一城令」において、例外として存続が許された全国の支城の中で、米子城のような天守を備えたものは稀有な存在だった。 米子城が湊山を中心とする近世城郭としてほぼ完成したのは慶長6年(1601)で、松江城に先立つこと10年、近世当初の城郭としての特色を誇る名城であった。 戦国末期に、出雲東半分・伯耆(ほうき)西部・隠岐島の領主として出雲の富田城(島根県広瀬町)に入った毛利一族の吉川広家が、天正19年(1591)から米子城の築城に取りかかったといわれている。 前面の展望と背景の港を格好の立地とした毛利一族の着眼はさすがだった。 関ヶ原の戦い(1600)の結果、吉川広家は岩国へ転封となり、中村一忠(かずただ)が駿河国から転入し城を完成させた。 三重の濠、郭内の侍屋敷、城外の町人区を持つ堂々たる縄張りをしていた。 中村一忠急死後、中村家は断絶となり、慶長15年(1610)加藤貞泰が美濃国から転入したが、7年足らずで伊予国大洲に転封となり、 元和3年(1617)に因幡・伯耆の両国の領主となった池田光政の一族である池田由之が城預かりとなった。 その後、寛永9年(1632)、池田光政が備前の領主、池田光仲が因幡・伯耆両国の領主へと国替えとなり、 池田光仲の家老の荒尾成利が城預かりとなり、幕末まで荒尾氏が11代に亘り米子城を管理した。
大小二つの天守を連ねる典型的な平山城として、湊山(標高約90m)上の本丸を中心に、東方の砦である飯山(いいのやま)(標高約52m)、 西方の丸山(標高約49m)を取り囲み、大天守は高さ約20mの四重五階、小天守は高さ約15mの四重櫓、この二つを本丸に連ね、山陰一の名城といわれた。 その後、明治時代に入って城郭の建物は姿を消し、内外の濠も埋められた。

■付け加え・本丸の説明板より抜粋■ 吉川広家が湊山を中心に築城を始め、頂上の四重櫓と縄張りの大体をつくった。慶長5年、伯耆17.5万石領主中村一忠がさらに規模を拡大し、翌年完成した。 城は、頂上の五重天守と四重櫓を中心とする本丸に、西北の内膳丸、東の飯山を控え、山裾の二の丸を領主の館とし、その下の三の丸には内堀に囲まれて作事場、米蔵、馬小屋などを建てた。 また、裏側には深浦湾にのぞむ水軍用の曲輪をつくった。三の丸をこえた内堀と外堀の間は、侍屋敷であった。 米子城は、11代続いたが、その後間もなく米子の住人が買い取り、取り壊してしまった。 この湊山の土地の大半は、市内の素封家坂口平兵衛意誠氏から寄贈を受けたものである。城跡の石垣は、昭和57年から59年にかけて修理し、復元した。(米子市の案内板より・絵図も)

【左】案内板をクリック→拡大。

二の丸・枡形虎口

■枡形…入口を二重にして門への見通を防ぐ為に作られた広場で、城主の行列の供揃いや、武士を寄せ集める時の集合場所に使われた。 (東西25.44m、南北22.72m)(標柱より)

せっかくの虎口が、車が何台もいて邪魔だった。この付近には、駐車場が無いからだろうけど。

【左】枡形虎口の石垣。 【真ん中】枡形。 【右】二の丸に向かう石段側から。

枡形から二の丸へ向かう石段

枡形虎口もいいけど、こちらは石垣が格好良くて嬉しい(^^)

旧小原家長屋門

【左】(切り取り加工)テニスコート側から。

市内西町の小原家にあったが、昭和28年米子市に寄贈され現在地に移築し、市立山陰歴史館として昭和59年まで利用してきた。 小原氏は、米子荒尾家の家臣で禄高120石であった。 建物は、江戸時代中期の建築で、木造瓦葺入母屋造りの平屋建てで、床面積は84u余りであった。 大扉の向かって右側に一室、左側に二室あって、その上は一部低い中二階になっている。 市内に現存する唯一の武家建築として貴重である。(米子市の案内板より)

【左】門の向こうは、テニスコート。こっちは昔で、向こうが現代という異空間な感じ。
【真ん中】横道を通り、左の山道を上って頂上、内膳丸へ。まっすぐ行くと駐車場へ。
【右】頂上、内膳丸跡登り口。駐車場から向かう時も同じ登り口。テニスコートの横を通って右にある。

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