【神倉神社】

和歌山県 神倉神社  わかやまけん かみくらじんじゃ
■神倉神社=参拝自由
駐車場=無し            (2004.8.1現在)
住所=新宮市神倉1-13-8
三重からの国道42号線を走り、裁判所前の信号を過ぎて、 少しすると右側に小さな郵便局があるのでそこを右に曲がり、 少し走って左に曲がって、右に曲がると右側にセメントの 壁がある。そこは小学校で、すぐ先に神倉神社。この日は日曜で、 小学校の壁際に路駐させて貰った。休日だからか民家の路駐も多い。 路駐の場合、門前や迷惑な場所は避けて下さい。

神倉山
山上には通称※「ごとびき岩」といわれている数個の 巨岩があり、御神体として崇められている。 古代から長く熊野の祭礼場として神聖視されてきた 霊山である。急斜面に自然石を積重ねた石段、 二月六日、夜の壮観な火祭(お燈祭り)で馬石標も 指定文化財とされている。 (和歌山県教育委員会、新宮市教育委員会、 熊野速玉大社の案内板より)
※「ごとびき」は熊野地方での方言でヒキガエルの事。
最も大きな巨岩の 形が似ているからだそう。
(右の写真丹鶴城跡・新宮城跡より写したもの) 右側の赤の印の建物の向こうの2番目の大きな山の左側に神倉神社がある
鳥居 石段 社殿入口
鳥居の手前の奥の方に、無料で杖の貸し出しがある。 参拝後、ベンチで休んでいたら発見!遅いって(笑)
でも、無い方がかえって安全に上れるかも。 いや〜、雨が降らなくて良かった〜(^^;)
この急な石段は538段!建久4年(1193)に源頼朝が寄進したものだそう。 振り返るのが怖かった・・・。
急な石段を上り終えると、楽な道に。 え?もう?な〜んて思ったり。 約10〜15分位かな。帰りはもっとかかる(笑)
手水鉢
新宮第2代城主水野重良が、下野国那須城主(栃木県那須郡) 大関高増の母の延命と繁栄を祈願して、寛永8年(1631)に同社に 寄進したもの。大関高増の母は、水野重良の父重仲の養女で、 高増の父政増の夫人。 材質は黒雲母花崗班岩で、巨大な1枚岩を刻んで仕上げている。 正面に願意や年号・寄進者名・奉行名などが掘られている。 阿須賀神社にも同様の手水鉢が寄進されている。 (新宮市教育委員会の案内板より)

暑い日だったので、気持ちよかった〜 一気に今までの汗が吹き飛んだ(^^) すぐ側に、ごとびき岩があるし和んだ〜。
景色
台風だったからいい天気じゃない けど、凄く気持ちが良かった〜。 ごとびき岩がとても頼もしく 見えて、じ〜っと見上げてた(^^) 右の写真の手前から二番目の 低い山に、丹鶴城跡(新宮城跡) がある。ポツンと見える白い点 がトイレなんだけど、写真が 小さいから見えないな。

■神倉神社
9時前に着いたんだけど、朝の神事が終わった後のようだった。上がっていいのかな? と躊躇していると、「あの石段から上がるんだよ。」と地元の参拝者の方が勧めてくれた。 そして、無造作に積まれたような石段を一歩一歩上がっていく。上がりやすい石を探しながら。 って、横をジョギングしている男の人が颯爽と上がっていく!凄〜い!!さすが、地元の人だ! でも、途中で「中の地蔵」を過ぎると、楽になってくる。だから、行きは早かった〜。 ごとびき岩は、凄いの一言。とにかく、「うわぁ!」の繰り返し(笑)本当〜に来て良かった!! 帰りの石段下りは、恐ろしい。でも、ごとびき岩が守ってくれているみたいな気持ちがした(^^) 下りるとベンチがあるので、そこで一休み。すると、神主さんの娘さんらしき人が鳥居近くの 手水鉢のお社?の柱を念入りにタオルで拭いたり、柄杓をキレイに並べたりと、愛情を感じた。 もう一つのベンチでは、地元の方が集まって話をしたりと、凄く愛されている雰囲気が伝わる。 帰り際に、会釈をして前を通ると「上まで行った?」って話しかけられた。和む神社だったなぁ。

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