トロとまったり・tripのページ(花岡勘場・法静寺)

山口県 花岡勘場

やまぐちけん はなおかかんば

■花岡勘場(別名=都濃宰判勘場)・お茶屋跡
■四恩幼稚園
駐車場=無し
■法静寺(参拝者用無料駐車場あり)

2014/12/29現在

住所=下松市末武上
この時は、国道2号を広島・岩国方面へ進み、 県道41号との南花岡信号を過ぎて、花岡信号を左折。 北へ進んで、花岡八幡宮の参道入口を右折。 法静寺を過ぎ、細い川を越えた左側が花岡勘場・お茶屋跡で、 その奥の四恩幼稚園前に案内板や碑がある。

花岡勘場

左側が御茶屋、右上が勘場、右下が御番所。

江戸時代に、都濃郡は萩本藩領と徳山支藩領に分割支配されていた。 萩本家領有地は津野宰判と呼ばれ、花岡、末武南、米川下谷が属しており、 統治の為の役所がこの地に設けられていた。 その役所が勘場と呼ばれ、普通代官所と言われていた。また花岡は山陽道の要衝であったので、 宿駅がおかれ、藩主などの参勤交代の休泊所である本陣(御茶屋)もおかれていた。 (下松市・下松市観光協会の案内板より)

【左】法静寺側からで、川を越えてすぐ左側が花岡勘場・お茶屋跡。
【真ん中】四恩幼稚園の前に説明板や碑がある。
【右】左が春雨桜、真ん中が天然記念物 花岡ノ槙柏(しんぱく)、右が花岡勘場跡碑。 大砲も置かれていた。

■春雨桜…毛利敬親公は、天保8年(1837)に家督を継ぎ、幕末混乱の時期に防長2州を統轄し、 明治維新における中心指導者として活躍された人である。 その敬親公が文久元年(1861)9月16日に萩を出発し、江戸に行かれる途中、 福川で病にかかり、花岡の本陣で静養された。その時、敬親公の心を慰めたのがこの桜である。 「春雨」は敬親公の雅号で、敬親公遺愛の桜ということで、「春雨桜」と呼んでいる。 (下松市・下松市観光協会の案内板より)

【左】石垣は名残なのかな?
【真ん中&右】川沿いの石垣もいい感じ。

法静寺・福徳稲荷社

きつねのお面を被った行列が練り歩く稲穂祭(きつねの嫁入り)が有名なんだそう(^^)
【左】法静寺の南側の大きな鳥居!扁額には「出世福徳 稲荷大明神」と書かれている。
【真ん中】盛涼山 法静寺の山門。
【右】法静寺の境内にある白狐が祭られている福徳稲荷社。

法静寺。鯉や龍の彫刻が格好良かった。

花岡勘場 2014.12.29記

遺構か分からないけど、石垣が格好良かったし、案内板や碑もあってよかった。 後で知ったけれど、法静寺は稲穂祭(きつねの嫁入り)が有名なんだそう。 白狐のお面を被った行列が、勘場前の道を練り歩くお祭りで、結構な賑わいらしい。 凄く気になるな〜(^^)
(別ページで紹介)→ 花岡八幡宮

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