【岡崎城 その1】

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(おおまかに:1.東曲輪付近、 2.二の丸・持仏堂曲輪、  3.本丸付近、  4.風呂谷曲輪・他)

愛知県  岡崎城 あいちけん      おかざきじょう
■岡崎城=200円(※2館共通券あり)
■三河武士のやかた家康館=350円
開館時間=9時〜17時(入館は16時半まで)
■岡崎公園
駐車場=岡崎公園駐車場(30分100円)
※営業時間=8時半〜21時半  (2011.7.29現在)
※ここでは、2004.9.17の写真も使用。(表記あり)
住所=岡崎市康生町
この時は、岡崎市役所側から国道1号を西へ進み、県道39号との 康生通南信号を過ぎて、小さな駐車場の案内があり、 2本目の路地を左折、右側に駐車場。

岡崎城
享徳元年(1452)または康正元年(1455)、 明大寺に居館を構えていた西郷弾正左衛門頼嗣(稠頼・青海入道)が、 菅生川の北岸に砦となる城を築城したのが始まりである。 後に、安祥城主から家康の祖父である 松平清康が、享禄4年(1531)に、現在の位置に移して以来、 岡崎城と称されるようになった。 天文11年(1542)12月26日、徳川家康はここ岡崎城内で誕生。 家康は、6歳で織田信秀(信長の父)、8歳で今川義元の人質となり、 少年期を他国で過ごしたが、永禄3年(1560)の桶狭間の合戦で、 今川義元が戦死した事を契機に自立。時に19歳。以来、岡崎城を拠点に 天下統一という偉業への基礎を固めた。元亀元年(1570)、家康は本拠を 遠江浜松(静岡県浜松市)に移し、嫡男信康を岡崎城主とした。 天正7年(1579)、信康の自刃後は、重臣の石川数正、ついで本多重次を 城代とした。天正18年(1590)に、家康が秀吉によって関東に移されると、 秀吉の家臣・田中吉政が入城した。家康が江戸に幕府を開いてからは、 譜代大名にここを守らせた。 江戸時代、岡崎城は「神君出生の城」として神聖視され、 本多氏(康重系統/前本多)、水野氏、松平(松井)氏、 本多氏(忠勝系統/後本多)と、歴代譜代大名が城主となった。 石高は5万石と少なかったが、大名は岡崎城主となることを 誇りとしたと伝えられる。
城域も現在の本丸程度で西郷氏が築いた当初の岡崎城は、砦の様なもので、 あったであろうと考えられるが、家康の頃までには近世の城郭としての原形が出来上がった。 田中吉政は、大規模な城郭の整備拡張を行い、文禄元年(1592)に、城の東・北・西に 総延長4.7kmに及ぶ総堀を巡らした。また、元和3年(1617)本多康紀の時には、3層3階 地下1階で、東に井戸櫓、南に付櫓を持つ複合天守閣に再建した。 城郭の整備に伴い東海道が城下に引き入れられ、慶長14年(1609)には伝馬町 ができて、岡崎は東海道有数の宿場町として繁栄するに至った。 明治維新を迎えると情勢は変わり、新しい時代には不要とされた城郭の大部分は 明治6〜7年(1873〜74)にかけて取り壊された。 この後は、堀と石垣が残るのみだったが、 昭和34年(1959)に3層5階の鉄筋コンクリート構造が復元された。
駐車場
(左)久しぶりに来たら、駐車場が凄くきれいだし、 東隅櫓(正面)が建っていた(^^) (右)青い丸が一般車駐車場。
東曲輪の下(南東側)
(左)駐車場側から東隅櫓を♪右下が、切り通し方面。 (右)パノラマっぽく加工。東隅櫓側から見下ろして。
東曲輪下(東側)の門跡〜切り通し
(左)門跡から見上げると、東隅櫓♪ (真ん中)桝形。左折れになる。石垣が格好いい(^^) (右)振り返って。
(左)桝形から左折れに向かうと、緩やかに右へ。 (真ん中)左の写真のその先。 (右)振り返って。
東曲輪
(左)東曲輪。写真奥(真ん中)に
見えるのが、東隅櫓。ちなみに、
こちらは、バス駐車場で、背後に
大手門が立っている。

(右)「ようこそ 家康公と
三河武士のふるさと 岡崎へ」
字の下には、カラフルな家紋が♪
岡崎城下東海道二十七通り
(左)2004.9.17撮影。両側に「従是西岡崎領」「従是東岡崎領」。 (真ん中)反対側。 (右)岡崎城郭と東海道。
東曲輪・東隅櫓
東隅櫓の東側には、菅生曲輪(南側の一段低い区画)から二の丸・三の丸に 通じる切り通しがあり、ここを通過する敵に横方向から攻撃するのに絶好の 場所に建てられている。構造は、屋根・階数とも二層の二重櫓で、江戸 時代の標準的な造りである。(案内板より)
東曲輪から見るより、駐車場側からの方が好きだな(笑) 室内の見学、物足りない感じが…(^^;)
大手門
本来の大手門は、現在の浄瑠璃寺
の南(北東約200m)にあった。江戸
時代の記録によれば、「桁行十間、
梁行二間四尺」。(案内より)
※ふふふ。二の丸の所にある…。
(右上)国道側には、「せせらぎ」と
いう水堀があった。
(下2枚)2004.9.17に撮影。
今回と比べると、横の建物が違う!

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(おおまかに:1.東曲輪付近、 2.二の丸・持仏堂曲輪、  3.本丸付近、  4.風呂谷曲輪・他)

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