【岡崎城 その2】

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(おおまかに:1.東曲輪付近、 2.二の丸・持仏堂曲輪、  3.本丸付近、  4.風呂谷曲輪・他)

二の丸
二の丸は広くて、二の丸能楽堂や三河武士のやかた家康館 (真ん中&右)が立ち、幾つかの像等がある。
花時計 公衆電話
(左)1/10馬力の直流モーターで動く。 (真ん中)この公衆電話、場所を変えると…。 (右)櫓があるみたい(笑)
徳川家康公銅像
天文11年12月26日(1542)岡崎公園内二の丸 (現在の能楽堂)で生まれた。
幼少の頃、人質として苦難の道を歩き、自立した後は 全国統一を目指し、転戦を続け、慶長5年(1600)天下分け目の 関ケ原の合戦に大勝して、天下を治めるにいたった。 以後、持ち前の才能を生かし、全国統一の念願を叶えるとともに、 徳川幕政300年の基盤をも作り、元和2年4月17日(1616)75歳でこの世を 去った。(案内板より)
(左)リアルな顔に、鳥のフンがタラリ…。
(右)2004.9.17撮影。ちょうど頭に鳥が乗った(^m^)特等席、特等席(笑)
からくり時計塔 本多平八郎忠勝公銅像 松平元康の像
(左)時間になると、家康公のからくり人形が現われて、 照明と音響の演出で、能を舞うんだそう。見てみたい。
(真ん中)右下に写っている白い物は、 三方ヶ原の戦い後に、徳川家康を描かせた時の絵の石像バージョン。
(右)見るのは2回目だけど、今回も思う。 しっかりした銅像があるだけに、こちらはちょっと…(^^;)
■松平元康の像… 若き元康(家康)の騎馬像は、 城を背にし、やがて大権現として再生する日光東照宮の方角を向いている。 背景の石垣と滝は治世を象徴し、元康が胸に秘めた国取りの夢が、 生誕の地、岡崎の土中から盛り上がる様を示す。 (家康公生誕450年祭実行委員会の説明より)
二の丸能楽堂
(左上)2004.9.17撮影。閉門。
(上真ん中)開門(笑)
(右上)奥に、松が描かれている。
(左)角度を変えて。
(右)西側にある坂谷側から。
緑の木々と建物がいい雰囲気(^^)
二の丸能楽堂側から持仏堂曲輪への道
(左)二の丸能楽堂側から持仏堂曲輪へ向かう石段。後世の物。 (真ん中)逆から。 (右)空堀が見られた♪
持仏堂曲輪と二の丸との空堀
二の丸から持仏堂曲輪へ向かうと、土橋、 両側に空堀(見え辛いけど)があり、持仏堂曲輪への門跡がある。
持仏堂曲輪の門跡(北東)
(左)持仏堂曲輪側から二の丸方面。 (真ん中)土橋側から入って右側の石垣。 (右)内側の土塁。
(左)土橋側から入って左側の石垣。 礎石が1つ。 (真ん中)内側から。 (右)写真手前から右折れで門跡へ。
廊下橋跡
持仏堂曲輪にあり、本丸北側の空堀に架かる。 橋は、関係者以外立入禁止なので、渡る事は出来ない。
廊下橋跡の正面には天守があり、見上げると、ちょうど頭の部分がよく見える♪
持仏堂曲輪から東側へ
(左)左側の石垣が、二の丸へ向かう北東の門跡。奥へ進むと 本丸の北側の空堀(右側)沿いに細くなる。
(真ん中&右)門跡から左折れで、曲輪が細長くなり、左側に石垣が延び、 右側には大きな空堀が続く♪
(左)右上の石段を。この辺りは少し広く、 背後には本丸北東の入口がある。 (右)左の写真の石段の右隅かな?

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(おおまかに:1.東曲輪付近、 2.二の丸・持仏堂曲輪、  3.本丸付近、  4.風呂谷曲輪・他)

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