【久保田城 その3】

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奥庭跡 池の名残り 御鷹屋御番所跡
(左&真ん中)公園にありがちな雰囲気だけど、 奥庭跡の築山や池の名残りだと思うと、嬉しい。 (右)標柱だけ。
帯曲輪門跡
本丸の奥から二の丸の土門方向へ通じる門であり、 本丸の下の帯曲輪に続いている。門の構造等は 不明であるが、絵図等の記載では、土塁の上を巡る 板塀に連結される形に描かれている。 (秋田市の標柱より)
帯曲輪門跡から北へ 帯曲輪 分岐点
(左&真ん中)帯曲輪門から坂を下り、 左の帯曲輪へ。 (右)坂が帯曲輪門へ、左側が彌高神社、背後が土門跡へ。
土門跡
(左)帯曲輪門から北側の土門跡へ。 (真ん中)土門跡から土塁を見つつ北へ。写真は逆から。 (右)北側の低い土塁。
北の丸方面 三の丸方面 堀跡?
(左)土門跡から北へ。住所も北の丸の字が。 (真ん中)フェンスに可愛いイラストが♪ (右)真ん中の写真右。堀跡?
馬場跡
 (左)彌高神社が建つ。この社殿は、
 久保田城内にあった佐竹氏の氏神
 八幡神社の正八幡社。文政2年
 (1819)の建造。
 (右)金蔵跡付近。
 (左下)かなり広かった馬場。
 (下真ん中)胡月池も馬場跡。
 (右下)保存樹、馬場のもみ。
不浄門跡
(左)馬場側から。この辺りかな。 (真ん中)逆から。 (右)東へ下りていくと、彌高神社東参道入口。
移築・裏門坂(鱗勝院)
明治19年(1886)4月30日、秋田町48ヶ町 3474戸を焼失した俵屋火事で、
当院も伽藍等を悉く失う。この門はその後、 佐竹家より拝領したもの。
久保田城の裏門で、二の丸から本丸に至る裏御門坂に あったもの。
久保田城は再三火災に見舞われており、この 門は1778年焼失後、
二層の楼門として再建された。 明治13年(1880)7月の久保田城本丸
火災の後、藩政時代から 現存する建造物は、御物頭御番所と裏門だけ
となった。その後、移築の際に 現在の形となり、原形ではないものの、
当時の築材そのままを移築した貴重 なものである。(案内板より)


■久保田城
表門や御物頭御番所、御隅櫓が見られるし、 土塁や門跡等、城跡をたくさん感じる事ができるので、 散策が楽しい♪標柱も立つので分かりやすいし♪ そういえば、大手門の堀の蓮が高くてビックリ!! しかも、量が凄い!佐竹史料館も良かったな(^^) 大満足の見学ができた♪ ちなみに、見学時間は、1時間半。 (写真)街灯が、提灯の形だった(^^)

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