トロとまったり・tripのページ(河後森城 その4)

西第二曲輪

【左】西第三曲輪側から西第二曲輪へ。まだ上がって行く。
【真ん中&右】土塁の横を進んで西第二曲輪へ。

細長く広め。こちらから本郭を見ると、本郭はこじんまりしているのかと思った(^^;)
【左】西第三曲輪方面。 【真ん中】本郭方面。 【右】本郭から見下ろして。

本郭への虎口

この地点では、河後森城の本郭への出入口である虎口が検出されているが、 領主の交代等によって改修を受けている為、大きく2つの時期の施設が認められている。 古い段階は15世紀(1400年代)から16世紀頃(1500年代)で、 本郭との間に人工的に掘りくぼめた堀切があった。堀切の東の端には、岩盤を掘りぬいて直接柱を埋め込む掘立柱の門があり、 この門へと、そして門から本郭に向かって岩盤を削りだした道が形成されていた。 一方、新しい段階は16世紀末から17世紀初め頃(1600年前後)で、 古い段階の堀切を壊して石垣を構築している。また、石垣の東側にある岩盤を削りだした道上の一部と石垣の西側には、 盛土や石段による新たな道が設けられていた。(案内板より・図も)

【左】西第二曲輪から本郭の虎口方面。細長い所が土橋。
【真ん中】左の写真の左側の堀切。
【右】左の写真の右側で、本郭の虎口。プレートがある付近が門跡。

【左】西第二曲輪から見下ろして。 【右】虎口側から。

【左】右が門跡の奥の階段で、盛土と石段跡、それから岩盤を削りだした道跡。
【真ん中&右】本郭横の階段を上がると、門跡。こちらも、岩盤を削りだした道。

本郭

本郭は城内で最も高い場所にある。標高は約171mで、麓にある集落との比高差は約88mである。 これまでに行った発掘調査では、他の曲輪と同じく、岩盤を円形に掘った多くの柱穴跡を検出している。 これらは、柱を土の中に埋め込む掘立柱を使い、屋根には主に板を葺いた施設の痕跡を示したもので、 本郭では、建物跡10棟、門跡1基、土塀跡1基を確認した。このうち、現地では明らかに時期の重複する4棟を除く建物6棟、 門と土塀について、柱の位置(黒石で表示)や間仕切りの様子を整備している。 建物の種類には城主が住む主殿舎、台所、見張り等を行う番小屋があり、 出土品の年代からおよそ15世紀(1400年代)から16世紀(1500年代)にかけて使用されていた。 なお、この本郭では、多くの瓦も出土しており、曲輪内に礎石が残されていることから、総瓦葺きの建物もあったと考えられる。 この建物は、西側の虎口や南側斜面に残る石垣とあわせて、 河後森城の最終段階にあたる16世紀末から17世紀初め頃(1600年前後)に存在した天守ではないかと推定している。(案内板より)

【左】西第二曲輪から。見えている範囲だけでこじんまりしているのかと思ったら、意外と広くて驚いた(^^;)
【真ん中】左が番小屋、中央が台所、その奥が主殿舎。
【右】右が番小屋、中央が主殿舎、その奥が台所。

【左】西側の番小屋の跡2棟。
【真ん中】北東方面。手前が台所、奥が主殿舎。こうやって見ると、結構ギリまで建っていたんだな…。
【右】北東側。手前が主殿舎で、奥に番小屋の跡2棟。

【パノラマっぽく加工】広範囲で見渡せるのが凄い!

【左】手前が台所、奥が主殿舎、主殿舎右側付近に本郭の東側の入口がある。
【真ん中】本郭の東側の入口で、東第二曲輪方面へ向かう。
【右】振り返って。

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