【越前大野城 その1】

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福井県 越前大野城  ふくいけん  えちぜんおおのじょう 
■亀山公園=入園自由
■越前大野城(別名=亀山城)=200円
開館時間=9時〜17時(10・11月は16時まで)
休館日=12月1日〜3月31日
駐車場=無料駐車場      (2006.5.2現在)
住所=大野市城町3-109
この時は、国道158号を福井市方面から大野市へ進み、 犬山信号を右折、少しして国道476号へ左折。 橋を渡って右折、そして細い道へ左折。少しして(すぐかな?)右に、 駐車場(南登り口)があった。

越前大野城 (案内図の写真をクリック→拡大)
天正3年(1575)織田信長は、一向一揆が支配していた大野郡を、金森長近と原政茂の 両名に平定させ、大野郡の三分の二を金森氏、三分の一を原氏に与えた。 金森氏は亀山に平山城の城郭と、東麓に小京都、城下町を造った。 天正14年(1586)に飛騨高山に転封となり、城主は度々交代し、江戸初期には 松平氏が60年間、その後、天和2年(1682)に土井利房が4万石で入城、 明治の廃藩まで土井氏が城主を努めた。 当時の大野城は、本丸に望楼付き2層3階の大天守と2層2階の小天守・天狗櫓等を 置き、麓に二の丸、三の丸があり、二重の堀と川を繋いで城を守っていた。 本丸の石積みは、野面積みのまま遺されている。 江戸時代には、町の大火により、城も幾度か類焼し、安永4年(1775)には本丸も焼失したが、 寛政7年(1795)に再建された。廃藩後、城の建造物は取り壊され、城郭のみが残された。 昭和43年(1968)萩原貞氏の寄付により、天守と天狗櫓が往時を推定して再建された。
駐車場(南登り口) 搦手門 1300歩のミニ登山!!
こっち側から来たので、ここの駐車場を 利用。傷んでいる搦手門を通ると、 こんな可愛い看板が立っていた(^^)
百間坂&登城中の石垣
大野藩の侍達がお城へ行くには、藩庁の庭から百間坂を登った。 藩庁を御殿(藩主の居館等)の敷地は今、柳廼社の境内等に なっている。亀山公園の遊歩道は明治の頃、大野町が造ったもので、 江戸時代には百間坂以外に道はなかったのである。 右の小道を行けば百間坂に続く。(案内板より)
土井利忠像
土井家7代目の名君である。幕末非常の時、藩政改革に没頭し、 門閥を問わず大いに人材を登用、治政44年の間に財政再建を 成し遂げ、その上、4万石の小藩ながら各種業績を残した。(案内板より)
近くにある幕末の大野藩の偉業という説明板を読むと、 利忠公って凄い人だったんだなぁ〜と感心した。
利忠像のある所の上の公園 本丸城門跡 本丸城門の先は…
遊具のある公園だった。 本丸城門跡を進むと、枡形になっているみたい。天守へは左へ。
天守方面へ 越前大野城碑 長屋門跡
2段になった石垣の上には、大きな城址碑が 迎えてくれる(^^)そこを歩いて行くと、長屋門跡。
金森長近像 天守へ
織田信長の武将。信長から大野郡の三分の二を与えられ、 天正4年(1576)大野城の築城に取り掛かった。 平山城の形式で、柳町に沿って外堀を構え、亀山山頂に石垣を組み、 二層三階の天守閣を完成させた。また街路を碁盤目に区画し、小京都の趣の城下町大野を建設した。 天正14年、豊臣秀吉は長近に飛騨一国を与えた。長近は再び高山に小京都を 営んだ。(案内板より)
大天守 権現宮跡 下を見ると…
同じ高さに立って見ると、なんだか雰囲気が違って見える(^^) 下では学校の遠足なのか、シートを引いてお昼中〜。
小天守・天狗櫓 武者登り
小天守も見る方向によって違うから素敵。こっちの方が好きかも。そして、武者登り!この荒々しさがいいっ!!

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