【越前大野城 その2】

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野面積みの石垣
(左)武者登りから続く石垣(^^) 大天守、小天守ともに格好いい! (右)奥から逆。石垣の曲線が何とも美しい〜♪
天守からの景色
(左&真ん中)長屋門跡方面。少し日差しが当たって明るい。 でも、すぐ曇っちゃって、薄暗くなってしまった(^^;)
(左&真ん中)犬山城跡があるそう。 こんな風に書かれると、心が惹かれるな〜(笑)
小天守・天狗櫓 お福ヶ池
こちら側からは不思議な感じ。 金森氏の裏梅鉢紋。 金森長近公の正室の名前だとか。
武器櫓跡 武器櫓跡の石垣 武器櫓跡横の門
ベンチに座っていた夫婦が、何を撮っているんだろう? って感じだった(^^;)なんだか、コチラはじめじめっぽいな。
大野市郷土歴史館(二の丸跡)
郷土歴史館の建物は、もともと大野区裁判所 として明治22年(1889)に 建てられたもの。昭和43年に現在地に移転し、 市文化財に指定された。(案内板より)
この二の丸跡には、土井利忠公が祀られている柳廼社がある(^^)それにしても、 老朽化が進んで、立入り禁止区域が多かった(^^;)
お馬屋池 内堀の名残(三の丸)
境内にある池は、越前大野城の堀の一部が残ったもので、 江戸時代に池の南側に馬場と厩舎があり、馬の飲用水や身体を洗うのに 使われていた事から、お馬屋池と呼ばれている。池の臼は木の根を 掘り貫いたもので、当時は、水が湧いており、おんまや清水とも 呼ばれていた。(案内板より)
武家屋敷 旧内山家
この建物は、幕末期に大野藩家老として活躍した内山七郎右衛門良休や その弟の隆佐良隆を輩出した内山家の旧宅である。主屋は平入りの 木造切妻造り桟瓦葺き二階建で、明治15年(1882)頃に建てられたものだが、 大野城下の武家屋敷の旧態を比較的よく残しているといわれている。 内山七郎右衛門良休は大野藩の藩政改革に尽力し、特に大野屋の 開設等経済面で手腕を発揮した。藩主土井利忠・利恒の信任もあつく、 万延元年(1680)家老に任ぜられた。
廃藩後も大野屋(全国に30数ヶ所) を経営し、士族の救済を図るなどをしたが、 明治14年(1881)75歳で亡くなった。(案内板より)
←ウサギを見つけた(^^)
百間堀跡 大野藩洋学館跡の碑 麓から大野城
武家屋敷 旧内山家付近に百間堀がある。1番右はこの付近からだけど、 写真だと小さくなってしまった(^^;)
石畳の道 溝の蓋 道路には
この近くのお蕎麦が美味しかった♪ 名物「朝市」と「大野城」の蓋。 大野城の駐車場付近で見かけた。
光明寺山門・鳩門 真乗寺山門・不明門
■大野藩主 土井利忠公  御休暇とゆかりの山門… 当寺の裏山は松高く緑したたる松林で、風光明媚、眺望絶佳、昔から 松茸が出るため、当藩主がお忍びにておいでになり御休暇され、 普段滅多に開かないといわれる不明門が、開いたら必ずお遊びに 来られた縁にて当寺山門は、藩の不明の門で賜りの門である。 (案内板より)

■越前大野城
天守下の石垣の素敵なこと!描き出す曲線も美しかった!ただ、石垣前にブルーシート がかかっていたり(かつては説明板みたい…)写真を写しているって分かっているのに、 陣取っている先生方(←遠足っぽかったから)、動こうって気持ちは無いのかしらっ(怒) と、少し残念に思うところはあった。他はいい感じ〜♪散策してると堀の名残があったり いい感じ。そして、お昼は勿論、越前おろし蕎麦!もちもちしていて凄く美味しかった!

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