トロとまったり・tripのページ(久留米城 その7)

柳原焼陶工軒跡

【左】写真の木々の辺りが旭町公園。
【真ん中】久留米大学の北東の旭町公園。観光パンフレットによると、柳原焼陶工軒跡なんだそう。
【右】旭町公園へ向かう途中に見かけた久留米大学病院の東側の道の蝶々♪

下野の渡し跡付近?

【左】本丸南側の道を西へ。
【右】(切り取り加工)左の写真を進んだ所。この付近が下野の渡し跡付近?奥は九州新幹線、鹿児島本線の鉄橋。

【左】リバーサイドパークの篠山駐車場。
【真ん中】リバーサイドパーク側から本丸方面を。
【右】筑後川。

九州新幹線、鹿児島本線の鉄橋。
【左】(切り取り加工)鹿児島本線の電車が下を通っていた。
【右】(切り取り加工)新幹線はいつ見ても嬉しい♪

瀬ノ下渡し跡

【左】水天宮の南西から瀬ノ下渡し跡へ。
【真ん中&右】瀬ノ下渡し跡の石垣。

【左】石垣のプレート「瀬ノ下渡し跡 久留米市瀬下町と長門石町を結ぶ 昭和五十六年三月」。
【真ん中&右】長門石町方面。

【左】(切り取り加工)写真左は、豆津橋。右のゴルフ場(ネット)より少し左側の古川を超えると佐賀県。
【右】水天宮の石垣を見上げて。

寿本寺

■虎谷山寿本寺(浄土真宗)…本寺は、天文元年(1532)草野家11代の城主、草野重永の二男永秀が剃髪、善宗と称し開基。 以後世襲として現26世住職道哉氏に至る。 本尊は、寺伝によると安土桃山時代、現八女郡上陽町上横山(もと上妻郡北河内村上横山)八重谷の里正、大坪重勝が石山合戦に参戦、 その偉功として顕如上人から阿弥陀如来を賞与され、のち当山に奉納したものという。 内仏は、開基以来の阿弥陀如来(旧本尊)で九山木阿弥の作と伝えられる。 現本堂は、嘉永元年(1848)21世住職大解により正面八間、側面九間の入母屋造り、桟瓦葺き、向拝三間を再建されたものである。 (久留米市の案内板より)

寿本寺・移築門

本寺の山門は、木造一層、切妻造、本瓦葺である。 扉は2枚あるが1枚はくぐり戸であり三間一戸の門形式で、本柱とともに 後方の控柱でも屋根を支えていることから、武家屋敷に好んで設けられた「藥医門」の分類に入る。 鬼瓦に有馬家の家紋の1つである釘抜紋がみられ、旧久留米城の西の丸に築かれた「水の手御門」であると伝えられている。 明治4年(1871)の廃藩置県以降に本寺に移築されたものであろう。 この門は、柱や扉の木割が太く、重厚な武家の建築として価値があり、 また久留米城の数少ない遺構として貴重である。(久留米市教育委員会の案内板より)

【左】外側。逆光で難しい〜(^^;)【真ん中】横から。【右】内側から。

久留米城 2015.12.27記

朝9時過ぎに到着し、駐車場が心配だったけど、とめられたのでよかった(^^) 高石垣や櫓跡の石垣がどこも格好良くて、凄く見ごたえがあった♪ 三ノ丸の水堀付近を往時を想像しながら歩いたり、長屋門を見たり、大手門跡はこの辺り?なんて、楽しめた。 ちなみに見学時間は、本丸と本丸周りで約50分。 二ノ丸〜大手門跡、下野の渡し跡他は、徒歩見学や車移動(+車中撮影)を含めて約40分 (※瀬ノ下渡し跡、寿本寺は離れているので含めず。)

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