トロとまったり・tripのページ(広島城 その13)

平櫓・多聞櫓・太鼓櫓について

平櫓、多聞櫓及び太鼓櫓の創建時期は、天正期末(16世紀末)頃と推定されている。 太鼓櫓は、17世紀初期に改修されたものの、3棟とも江戸時代を通して、二の丸の馬出機能を確保する建物として存在していた。 その後、平櫓及び多聞櫓西半分(平櫓側)は明治初期に取り壊され、残った太鼓櫓や多聞櫓東半分についても、昭和20年8月6日の原爆被爆により倒壊炎上した。 この建物は、平成元年の広島城築城400年を記念し、発掘調査や昭和初期に当時の陸軍築城本部が作成した実測数値、明治から昭和にかけての写真等をもとに、 復元に着手し、平成6年8月に完成したものである。(広島市教育委員会の案内板より)

内堀から二の丸(御門橋・表御門・平櫓・多聞櫓・太鼓櫓)

【2枚】御門橋から表御門と平櫓。角度によっては逆光気味になってしまうのが残念(^^;)

【左】御門橋から表御門と平櫓。
【右】左より御門橋、隠れ気味に表御門、平櫓、多聞櫓、太鼓櫓。

【左】平櫓〜太鼓櫓。堀の色が緑!(2004/8/12撮影)
【真ん中】太鼓櫓。夏だから反射で白っぽい。(2004/8/12撮影)
【右】太鼓櫓の南西側。

二の丸・平櫓

【左】表御門との間の石段(表御門も同じ)を上がり室内へ。
【真ん中】明るい室内。
【右】御門橋から西側。

二の丸・多聞櫓

【左】太鼓櫓側から。すっと長い姿が気持ちがいい。
【真ん中】東側の多聞櫓跡側から。
【右】太鼓櫓方面。

【左】模型やパネルが展示。
【右】昭和33年(1958)天守再建時に製作された初代鯱瓦。 福山城の筋鉄御門の鯱瓦等を参考にしたもの。

【左】表御門の模型。 【真ん中】鳥籠山城模型。 【右】吉田郡山城模型。

太鼓櫓

江戸時代には、ここ太鼓櫓の2階に時を告げる太鼓が置いてあり、朝夕太鼓を打ち鳴らして城門の開閉や藩士の登城の合図にしていた。 たまに、太鼓の音が小さかったり、時刻を間違えたりして注意される事もあったようである。(説明板より)

【3枚】二の丸から。ちなみに、太鼓櫓からは中には入れない。
【左】今回は逆光なので、前回を紹介。(2004/8/12撮影)

【左】左より平櫓、多聞櫓、太鼓櫓、多聞櫓跡。天気が良く、凄くきれいに写せて大満足♪ 上方で紹介した御門橋から表御門と平櫓の写真とそんなに時間が変わらないのに、雲があるのが不思議!
【右】内堀から南東側。くっきりしていい感じ。

【左】裏御門跡側から。 【真ん中】多聞櫓から太鼓櫓へ。 【右】太鼓櫓内部。

▲上へ戻る