【逆井城 その2】

・・・逆井城は2ページにわたって紹介・・・  【1】 【2】  ■←モドル

古城跡の土塁と空堀
上とは違う橋と空堀
東二ノ曲輪 逆井城石碑
櫓門と橋(表&裏)
逆井城の発掘調査の成果をもとに復元。 橋の遺構は礎石・男柱・支柱の柱穴、柱桁支柱の 穴が見つかっている。また、櫓門の遺構としては、 東西に三個ずつ二列で方形に結べる柱穴と雨後溝が みつかっている。 復元にあたっては遺構保存の為、旧柱位置より西へ1m、 北へ50cmずらされている。 なお形については、史料を基に戦国時代末期の 姿を想定。(案内板より)
左の空堀 空堀から見上げた橋 右の空堀
一ノ曲輪(本丸) 外側から見た一ノ曲輪 井楼矢倉
飯沼
前方に広がる水田が旧飯沼。 戦国時代末期、旧飯沼は現在の水海道市、岩井市、結城郡石下町、 八千代町、猿島郡三和町そして猿島町と、二市四町にまたがる東西 約1km、南北約20kmの沼だった。その後、江戸時代享保9年(1724) に八代将軍徳川吉宗の命により干拓が行われた。 (案内板より)
井楼矢倉手前の土塁&横矢掛り
土塁に凹凸や屈曲を設ける事を横矢を掛けると言う。 横矢掛りは虎口や土塁に近付いた敵を、横から攻撃する為のもの。 横矢は虎口と共に発達。ここ逆井城では、橋と並行する土塁が 横矢掛りとなり、適を攻撃する矢や鉄砲などを射掛けやすくする 場となっている。 現在、土塁は往時の姿より低くなっているが、空堀に架かる橋よりも 高く、復元した櫓門に対し、効果的な守備を発揮出来るような位置となっている。 なお、東側の二曲輪にも横矢土塁がある。 (案内板より)
西二ノ曲輪から見た土塁や西外濠
西二ノ曲輪から見た土塁等 向こう側からの逆井城 古河城諏訪曲輪 書院建築礎石
公園管理の事務所近くの梅 公園管理の事務所&蕎麦屋さん 駐車場にうちの車がポツンと…
八幡神社近くの公園&怪しい逆井城跡看板
■逆井城
左の逆井城跡は無視してそのまま真っすぐに進もう(笑) それでなくても、わかりにくいのに。それはおいといて、 「本当に無料なの?」と疑いたくなるような規模。 見て廻るだけある。復元矢倉や遺構がいっぱいあって見所も沢山♪ あと、青空!関東でもこんなにきれいな青空が見えるんだな〜って感動したよ。

・・・逆井城は2ページにわたって紹介・・・  【1】 【2】  ■←モドル

【 茨城のもくじ 】 上へ
下にメニューフレームが出ていない場合の、top へは→ top に戻る