【七尾城 その1】

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石川県  七尾城 いしかわけん ななおじょう
■七尾城=見学自由
駐車場=無料駐車場(本丸北駐車場)
■七尾城史資料館・懐古館(旧飯田家)…麓にある。
                    (2008.7.26現在)
住所=七尾市古府町、古屋敷町他
この時は、富山方面から国道8号を西へ走り、 七尾・氷見方面の国道160号へ。 県道304号への稲積信号の次の、 阿尾交差点で県道18号へ左折。そのまま走り、 国道159号へ右折。そのまま走って、 城山登山口信号で、県道177号へ右折。 ひたすらまっすぐ行くと、本丸北駐車場。

七尾城 (小さい写真をクリック→拡大)
七尾城は、室町幕府の将軍を補佐する管領職を勤めた 畠山氏の有力庶流として、応永15年(1408)に独立した 能登畠山氏(能登国守護)が、戦国時代(16世紀初頃)に 能登府中(守護所)にかわる新たな拠点として築いた山城である。 七尾城は、標高約300mの山頂部に所在する本丸を中心として、 北側の山麓まで延びる尾根一帯を造成して、曲輪(屋敷地)を 多数築いている。 こうした曲輪が築かれている尾根が、七つ(筋)あることが、 七尾の地名の由来と言われている。 七尾城の麓には、京都の禅僧が天文13年(1544)に記した 「独楽亭記」にみる、千門万戸の家々が軒を連ねる城下 「七尾」が連続して形成されていたことが明らかにされ、 山上の山城と山下の城下が、一体となる北陸を代表する戦国都市で あったことも確認されている。 天正4年(1576)11月、上杉謙信は畠山氏の七尾城を包囲したが、 関東の情勢が怪しくなったため、翌5年3月ひとまず本国へ戻り、 閏7月再び来攻、天正5年(1577)9月に落城。能登畠山氏は滅亡した。
この時、上杉謙信は、 折からの月明に感嘆して
「霜は軍営に満ちて秋気清し
数行の過雁月三更(かがんつきさんこう)
越山(えつざん)併せ得たり能州の景(のうしゅうのけい)
さもあらばあれ家郷(かきょう)遠征を憶(おも)う」
陣営より眺めた情景を、能登七尾を制した意気揚々たる心情とともに、 故郷への想いを詠ったと伝えられる漢詩がある。
難攻不落といわれた七尾城の落城、 それは守護大名としての畠山氏の支配力の弱まり、 加え重臣間の結束ができなかったこと。 畠山氏は、力を強めてきた一向一揆に対抗するため、 越後の上杉謙信と同盟関係にあったが、 内実は反上杉方の織田信長と結ぶ長氏や、 加賀の尾山御坊(一向一揆の拠点)と内応する 温井氏などに分裂していた。落城の引き金になったのは、 遊佐継光が上杉勢を城中へ引き入れたためといわれている。 その後、上杉謙信は半年後に死去、 織田信長の支配下になり、前田利家が能登の領主となったが、山城の時代 ではないと考え、小丸山城に移ったことにより、廃城となった。 (案内板より・絵図も)
■落城にまつわる白米の伝説…七尾勢は籠城が長引き、 もはや城中には、水がなくなっただろうと上杉勢は思った。 しかし見上げると、城山より滝がとうとうと流れ落ちている。 これでは攻めきる事はできないと考えて、兵を引き揚げようと したが、この滝に鳥が群がってきた。このことで、滝は実は 白米を流していたのだとわかり、上杉勢は再び兵を戻して、 七尾城を攻め落としたと言うことである。         (説明板から。漢詩=小丸山城の説明板より引用したもの。)
(左)城山展望台(百間馬場)より。 正面の黄緑色の部分が本丸。 大きな城址碑だけに、ポツンと見えるなぁ(笑)
右側には、段になった石垣も見えるし、上から 眺められるって凄い!!来て良かった〜(≧▽≦)
七尾城址登口碑 本丸北駐車場の西側土塁 調度丸と本丸北駐車場の間
(左)登口碑から車で約10分くらいで本丸北駐車場に到着。 (右)駐車場から調度丸へ向かう道を、調度丸側から。
調度丸
弓矢等の武具(調度)を整えた場所。多数の出土品が、 発見されている。(案内板より) (真ん中)石塁。(右)竪堀。
桜馬場
この曲輪は、東西の長さが45m、南北の長さが 25mあり、軍馬の調練を行った馬場などと言われる。 北側の石垣は、5段に組まれ、七尾城跡でも最大規模を誇る。 (案内板より)
  ユンボがっ!石段がっ!ちなみに、 下から2段目の石垣は積み直しだそう。
桜馬場 桜馬場と遊佐屋敷の石垣 西の丸
(真ん中)桜馬場と遊佐屋敷を仕切る石垣。遊佐屋敷で紹介した 写真から、ズ〜イと延びている。 (右)桜馬場から。
遊佐屋敷
この曲輪は、本丸のすぐ西側に接し、 七尾所跡の中心部にあることから、 城主に次ぐ守護代の地位にあった 遊佐氏の屋敷跡と、伝えられている。 (案内板より)
(真ん中)石垣。(右)高さのある本丸西側の土塁。 崩れるのか、ブルーシートが多いなぁ。
本丸の北側虎口と3段の石垣
(左)遊佐屋敷から本丸北側の虎口へ。  (真ん中)ここの石垣も素敵だったから、近付いて♪  (右)本丸から。
本丸
七尾城跡の中心となる曲輪。東西の長さが50m、南北の長さが 40mあり、二の丸までの一連の曲輪とともに、主郭を構成する。 石垣は、戦国期の山城に多い野面積みの工法を用い、 北側は三段に組まれている。(案内板より)

(左)本丸にド〜ンと存在感タップリの城址碑!
(左下)本丸。正面の土塁の左側が西の虎口で、右側が北の虎口。
(下真ん中)土塁上には、城山神社があって、ここは櫓台らしい。
(右下)本丸からの景色。ちょっと、曇っていたのが残念。
でも、城山展望台(百間馬場)から、素敵な景色が見れたから、よかった(^^)
本丸の西側虎口
(左)本丸側から西側虎口。奥が外桝形。 (真ん中)外桝形から。裏側にも石垣が(≧▽≦) (右)外桝形。奥が虎口。

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