【七尾城 その2】

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九尺石 温井屋敷跡、二の丸方面 温井屋敷跡
■温井屋敷跡…城主畠山氏を補佐する八臣(四臣四家)の1人、 温井氏の屋敷跡。(案内板より) (左)温井屋敷跡付近。(真ん中)温井屋敷跡もだけど、 二の丸方面へ向かう道の側面にも、 石垣が見ることができた♪
二の丸
この曲輪は、本丸に次ぐ第二の拠点であり、尾根の分岐点に 築かれ、周囲をたくさんの曲輪が取り巻いている。 三方を絶壁に囲まれ、自然の地形を巧みに利用した要害の地。 (案内板より)
(左)温井屋敷側の石垣。(真ん中)温井屋敷跡を見下ろす。 (右)きれいな緑だなぁ。
堀切(大空堀) 三の丸の虎口 三の丸
南北110m、東西25mを測り、曲輪の中で最大規模を誇る。 南側の二の丸とは、深い堀切で仕切られ、本丸を中心とした 主郭とは、別の曲輪郡を構成する。 三の丸の腰を包み込む様に、 袴腰が曲輪を補強している。(案内板より)
(左)二の丸と三の丸の間の堀切。かなりの 深さにビックリ(^^;)  (真ん中)(多分→)虎口を三の丸側から。
(右)この右側にも曲輪が。広い! そういえば、写真真ん中の説明板付近に、 石が並んでいたけど、何かな?
安寧寺跡 木々の間から♪ 袴腰と沓掛場の堀切
安寧寺跡には、畠山氏の墓碑や、七尾城攻防戦で滅んだ武士達の 慰霊碑等があるので、写らない所を(^^;)
沓掛場 とよ(樋)の水 寺屋敷跡入口
ここで身なりを整えたと言う。 城内の水源。枯れた事がないという。 代々の墓守を兼ねた僧兵の居住地。
調度丸方面への石垣 振り返って 桜馬場下石垣の横(石垣?)
(左)寺屋敷跡入口から坂を上がって、調度丸方面への石垣。 広角レンズじゃないから、写すのに苦労した(^^;)
この辺りから見る桜馬場下の石垣も凄く素敵! (右)陽が差す桜馬場の石垣横。 段々だけど、石垣があるのかな?
桜馬場の石垣
(パノラマっぽく加工) こちらからも、格好いい(^w^) ちなみに、左端が、左上の写真で、 右端が、右上の写真部分。
城山展望台(百間馬場)
城山展望台入口。この道を上がって行くと、 七尾城の歴史についての説明板が、幾つも立てられていた(^^) 展望台。七尾の呼称となった七つの尾根にちなんで、 七角形の形なんだとか。柱にも説明板がいっぱい。 7月下旬の14時頃、出来るなら日向を歩きたくないが、 説明板らしきものが…。で、正体は消えかけた地図…。
展望台からの景色 移築門(西光寺)
眺めが最高!!七尾城も見えるし♪(左)正面に見えるのが、本丸。 (真ん中)七尾湾。(右)小丸山城近くのお寺。
七尾城史資料館 城門の扉 城址発掘品
(左)懐古館(旧飯田家)と共通。 (真ん中)七尾城本丸へ通う城山本道の入口にあった薬医門。
懐古館(旧飯田家)
江戸時代後期の文化文政期(1804〜29)頃に、 肝煎り(庄屋)も務めた飯田家の旧家。
(左)素敵な茅葺屋根。(真ん中)杉の木 の根の下に隠されるようにある隠し井戸。 (右)近江八景が彫られた欄間。
室内の欄間や庭、上杉謙信が歌を詠む絵の レプリカ(本物もなかなか見れないとか。)や、 囲炉裏の間の周りの4段目の壁の傷は、 当時、3段が普通であったということで、 生意気だっ!と役人に、傷をつけられてしまったとか、 本当にたくさんのエピソードや説明をとても 親切に説明をして頂いたので、凄く楽しい時間を 過ごさせてもらった(^^)

■七尾城
車道の七尾城址登口碑石碑を写す為、道路に駐車したら、 「ウゥ〜ン!!」と、大きなサイレン! 白バイが軽トラを捕まえたんだけど、ここへ来る前にも白バイに遭遇。 もしかして、同一人物か!? それはさておき、まず七尾城史資料館と懐古館へ。 資料館でぼちぼち見た後、懐古館では詳しく説明やお話を聞かせて 頂いた。1つ1つがとても興味深く、おかげで楽しい見学ができました(^^) さて、次は七尾城。本丸北駐車場まで一気に車で向かう。駐車場に、 素敵なパンフが置いてあるので、嬉しい(^^)駐車場から歩いてすぐ調度丸、 そこからもう、何段もの桜馬場の石垣が見ることが出来る(≧▽≦) しかし、地震の被害で一部の石垣は崩れ、ブルーシートがかけられ、 痛々しい姿になっていた。もう少し早く来ればよかった…と思ったけど、仕方が無い(TへT) 他にも、本丸や屋敷跡に残る石垣、二の丸と三の丸の間の堀切等々、大満足の散策ができた♪ その後、城山展望台(百間馬場)へ。七尾城が上から眺められるし、 展望台からの景色も凄くよくて、良かった!

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