【盛岡城 その1】

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岩手県 盛岡城 いわてけん  もりおかじょう
■盛岡城(別名=不来方城…こずかたじょう)
■盛岡城跡・岩手公園=見学自由
駐車場=岩手公園地下駐車場(有料)・他もあり
                   (2007.9.23現在)
住所=盛岡市内丸1-37
この時は、東北自動車道 盛岡IC〜 国道46号を進み、盛岡駅・県庁方面の1号へ斜め右へ。 1号を左車線で走って、太田橋北袂信号で左折。 高架をくぐってそのまま1号を進み、川を渡ると1号が右になって、 少しして、直進が国道455号になる所で、岩手公園の看板に従って右へ。 石垣が見えてくる。この時の駐車場へは、そのまま進んで、 川を渡って左折、次に右折。2個目の路地を左へ。少し先の大き 交差点を左折し、内丸で左(見える)へ行くと、岩手公園地下駐車場。

盛岡城 (小さい案内板の写真2枚をクリック→拡大)
盛岡城は、慶長2年(1597)に鋤初め(起工)をしたと伝えられ、 翌3年に豊臣秀吉の許可を得て、本格的築城が始められた。 その後、寛永年間にかけて城郭の整備が進められ、 盛岡藩主南部氏20万石の居城だった。 城は当時の北上川と中津川の合流点近くの丘陵に築かれ、 本丸・二の丸・三の丸を中心に、腰曲輪(淡路丸)や榊山曲輪 などの平坦部が配置されている。本丸や二の丸の一部では自然石を 用いた築城当初の石垣、また、二の丸の西側では貞享3年(1686)に 積まれた切石の高石垣など異なる年代の様々な石垣が見られる。
美しい石垣から東北の三名城の1つ。 吉村貫一郎は、盛岡藩二駄二人扶持の足軽であったが、 生涯、盛岡藩士としての誇りを持ち、南部盛岡を「日本一 美しい国でござんす」と言った。 幕末・盛岡藩は、戊辰戦争で敗れ、戦後、白石に移封されたが、 領民の運動で盛岡に復帰している。 (案内板より・絵図も)
中津川(中の橋) 侍屋敷跡 水堀
地下駐車場にとめて、侍屋敷跡の芝生広場を横切って、水堀へ。 こちらからだと、案内板が無いのが不便(^^;)
水堀&横の土塁&巨石
ここは「ホタルの里」だとか(^^)その横に、土塁に 埋まるようにあった巨石!大きかったなぁ〜。
淡路丸と本丸の石垣 淡路丸の石垣 石段を上がって淡路丸へ
(左)手前が淡路丸で、その奥が本丸の石垣。 御廊下橋(赤い橋)で、二の丸につながるんだけど、木が邪魔だな…。
淡路丸の隅っこ 淡路丸 淡路丸から本丸へ
(左)石段を上がって淡路丸の隅を。 (真ん中)この隅の石垣が、苔むしてて素敵だった〜♪ (右)本丸へ向かう道。
宝蔵跡 腰曲輪 腰曲輪から天守台の石垣
そのまま淡路丸を南へ進んで腰曲輪へ。 本丸南東の天守台を見上げたけど、木が邪魔〜。 手前のオブジェも…。
吹上門跡(内側&外側) 真正面の石垣が榊山曲輪跡
本丸の石垣を見つつ、腰曲輪を西へ進むと吹上門跡。 坂を下りた正面に見える石垣が、榊山曲輪跡。
榊山曲輪と腰曲輪の石垣 遠くから榊山曲輪(左部分) 榊山曲輪の石垣から二の丸
(左)腰曲輪の吹上門跡から下りて振り返り、少し屈曲している所から手前が、榊山曲輪跡の石垣。
(真ん中)遠くから。(右)榊山曲輪の石垣から、横矢になった二の丸の石垣を。トイレが入っちゃった(^^;)
遠くから吹上門跡方面 腰曲輪の南西の石垣 ズズイと続く腰曲輪の石垣
逆光じゃなかったらなぁ〜(^^;) 吹上門跡近くの石垣。下にも低い段。 この石垣が、ずっとずっと続く!
腰曲輪の石垣
(左)南東から南西に長〜く続く石垣!凄い! (右)左の写真を、南から。 横矢掛りとなっていて、素敵!
彦御蔵(真ん中=南部氏の紋) 中津川(下の橋)
城跡に残る唯一の蔵。参勤交代の道具蔵として使用されていたとか…。 下の橋は、小さすぎて見えないかな(笑)
水抜き? 淡路丸の北西の石垣 中津川(毘沙門橋)
「凄いなぁ〜♪」って、見上げながら歩いていると、 ピョコッと出ているのを発見!こんな感じで、淡路丸見学は終了。

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