【盛岡城 その3】

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三の丸 三の丸の石垣(下は台所跡)
三の丸の北東付近に、烏帽子岩と呼ばれる巨大な岩があった! (右=烏帽子岩付近から見た三の丸の石垣。)
瓦門跡へ 瓦門の桝形(内側&外側から)
三の丸の北にある瓦門。素敵な桝形になっている。 右側の写真の石垣の、青みを含んだ色具合がきれい♪
瓦門跡 瓦門跡の石垣 鳩門跡
盛岡城の石垣って、かなり孕んでるような…(^^;) 鳩門跡は、遺構は無くて、この辺かな〜って感じで。
三の丸石垣から二の丸石垣 三の丸石垣 三の丸と二の丸の間の石垣
次に西へ進み。 (左)三の丸北西の石垣越しから、二の丸の石垣。 テントが…。 (真ん中)左の写真の石垣を横から。
二の丸石垣から三の丸石垣 西側の二の丸の石垣
とにかく高い!大きい!迫力あった〜(^^)上で書かなかったんだけど、 三の丸と二の丸の間の石垣が気になる。
盛岡城趾碑 桜山神社横の堀 道路沿いの堀
紹介する順番が、逆になっちゃうけど、三の丸の瓦門跡を出た付近にある城址碑。全然、字が見えないなぁ。
下曲輪 亀ヶ池 鶴ヶ池
折角なので、道路を渡って向かい側へ。路地に入って、 お店が連なる道を歩いていくとすぐ(^^)
時鐘
藩政時代、城下に時を知らせる為、久昌寺前の十三日町 (現在の南大通二丁目)と、三戸町(現在の中央通一丁目)の 二ヶ所に寺鐘が設置された。この鐘は、日影門外寺鐘と言われ、 外堀(現盛岡中央郵便局裏)の土塁上にあったもので、 4代藩主南部重信の時代に、その子行信の発願により、 聖寿禅寺(しょうじゅぜんじ)の大道和尚が銘文を作り、小泉仁左衛門清則(釜屋五郎八)に よって、延宝7年(1679)11月に鋳造されたものである。 明治維新後は、岩手郡役所構内(現岩手県庁向かい)に一時移転、 その後、この地に移り、昭和30年頃まで盛岡市民に時刻を知らせていた。 (盛岡市教育委員会の案内板より) (H18.9月)


■盛岡城
見ごたえたっぷりの石垣がいっぱいで、散策が楽しい〜! 場所によって、積み方や石の大きさも違ったり、凄く高さが あったりして(^^)葉っぱが石垣を隠してしまって、後で見た 画像に「!」と思ったりしたけど、見学にはいい季節だった♪ 写真は岩手銀行。レトロな外観が、とっても素敵〜(^^)

※見学の順番と紹介した順番は、違うように作ってます。

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