トロとまったり・tripのページ(丸亀城 その1)

香川県 丸亀城

かがわけん まるがめじょう

■丸亀城(別名=亀山城、蓬莱城)
■亀山公園=見学無料
■天守閣=200円
開館時間=9時〜16時半(入館は16時まで)
休館日=12/25〜2月末
駐車場=亀山公園向かいの無料駐車場(土日祝)か近辺の有料駐車場。

2007/5/1現在

住所=丸亀市一番丁
この時は、瀬戸中央道 坂出I.Cを下りて、左の国道11号へ。 そのまま進んで行くと、丸亀城の案内板が出るので、県道21号を丸亀市街へ右折。 県道21号が左になって、少しして右に、土日祝は無料の駐車場がある。 反対側が、亀山公園。近辺に有料駐車場もある。

丸亀城

案内板の写真をクリック→拡大。

生駒親正は天正15年(1587)播州赤穂から17万6千石の領主として讃岐に入り、高松城を築き、 次いで西讃の鎮めとして慶長2年(1597)から丸亀城の築城にかかり、同7年(1602)に完成したが、その後一国一城令により、廃城となった。 生駒家4代の後、肥前国天草郡富岡城主から寛永18年(1641)入城した山崎家治が翌年から修築に取り掛かり、現代の城郭はほぼこの時代のものである。 亀山城は、標高66mの亀山に築かれた平山城。別名亀山城とも呼ばれている。 本丸・二の丸・三の丸・帯曲輪・山下曲輪があり、東西約540m・南北約460mの内濠内204,756uが史跡範囲である。 丸亀城の美は何といっても石垣の美しさである。天守閣に向けて四段階に積み重ねた石垣は、 「扇の勾配」とも清正流三日月勾配とも呼ばれ、天に向かって弧を描いて反り返る様は見事でまさに石の芸術品である。 また、天守閣は全国の現存する木造天守12城の1つで、昭和18年に国宝、昭和26年に全国的改定により、重要文化財に指定されている。

大手二の門前の堀

大手二の門へ入る手前の堀には、亀の甲羅干し場が浮かんでた(^^) 堀の中、橋の下に亀がいっぱい!こっちを見て、ニュ〜ンと首を伸ばす姿が可愛いかった♪

大手一の門、二の門

もと南方にあった大手門を、京極氏入城直後の寛文10年(1670)に北方のこの地へ移築した。 大手の外門高麗門は、切妻造りで、左右に狭間塀を持ち、内部の石垣は岩岐組みされ、大手二の門と呼び、右方の櫓門は、大手一の門と呼ばれ、 楼上で時報の太鼓を打っていたので、太鼓門ともいわれている。両門とも同時の建造で、主要部はすべて欅材を用いている。(案内碑より)

大手二の門

■大手枡形…もと南方にあった大手枡形を、 京極氏が入城直後の寛文10年(1670)に北方のこの地へ移築したもので、 大手一の門と二の門、狭間塀とよく調和された築造で、巨石を多く用いた堅固な枡形で、 甲州流軍学の標準とする五間に八間の「五八の枡形」を凌ぐ、 十間(18m)に十一間(19.8m)の巨大なものである。(案内碑より)

【右】大手一の門から大手二の門との枡形を。

大手一の門

【左】表側。門前で除草作業の人達が話し合い中〜(^^;)
【真ん中】裏側。裏にいた工事車両が動いた瞬間にパチリ!
【右】横から。内部には太鼓があった(^^)

【左】大手一の門の瓦。
【真ん中】付近の丸亀城石碑。
【右】付近のベンチの側の生駒氏の波引車紋、京極氏の四つ目紋、山崎氏の紋が描かれたゴミ箱の様な物。

御殿表門(表&裏) // 資料館(藩主屋敷跡)

藩主居館の玄関先にあったので、玄関前御門とも言う。 薬医門で、総欅造り、中央に両開板扉があり木割も大きく、細部手法も江戸初期の特徴を示す遺構である。 東方に続く塀は、切石積の石垣上に立ち、東端に開戸の潜がある。(案内碑より)

【左&真ん中】御殿表門(表&裏)。 【右】資料館(藩主屋敷跡)。

番所長屋

【右】番所長屋から大手方面。

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