【小田原城 その3】

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馬出門桝形
馬出門桝形は、馬出門と内冠木門の2つの門と 周囲を土塀で囲まれた範囲をいう。 2つの門は控柱にそれぞれ屋根が付く「高麗門形式」の門である。 発掘調査により桝形石垣の根石(基礎石)が見つかった事で、 正しい門の位置が明らかになった。これらの発掘の成果と 絵図などの検討を行い、復元整備計画が立てられた。 (小田原市教育委員会の案内板より・絵図も)      (右)暗い…(^^;)('10.12.7撮影)
馬出門桝形・馬出門
(左&真ん中)馬出門土橋を渡って。奥に銅門がチラリ。 (右)桝形から裏側を。右側が内冠木門。(2010.12.7撮影)
馬出門桝形・内冠木門
(左)馬出門(写真左側)から桝形を通り、 左折れで内冠木門へ。 (真ん中)桝形から。 (右)裏側。(2010.12.7撮影)
馬屋曲輪
元禄時代(1700年頃)は馬屋曲輪に 馬屋と大腰掛の2つの建物と二重櫓が 建っていた。元禄16年(1703)の元禄 地震の際にこれらの建物は焼失し、 その後は再建されないまま明治時代 を迎えたものと考えられている。 (案内板より)
(左)木だらけ。(2006.4.1撮影)
(右)馬出門桝形(右奥)から馬屋曲輪
を歩いて銅門方面へ。(2010.12.7撮影)
住吉堀
銅門や住吉堀は、昭和58年から平成4年に かけて行われた発掘調査の 成果や古絵図等の資料に基づいて復元されている。 この発掘調査では、江戸時代の堀や石垣だけでなく、戦国時代の 井戸や水路、障子堀と呼ばれる堀などが発見され、戦国時代から 江戸時代にかけて、小田原城が何度も造り替えられ ていることが分かった。(案内板より・発掘写真も)
(2006.4.1撮影)
御茶壺曲輪
(左)銅門が見える。 (真ん中)二の丸から住吉堀を挟んで。 (右)御茶壺橋から堀。右側の石垣は南曲輪。
(2006.4.1撮影)
外堀と桜
(左)冬の学橋。 (真ん中)桜と学橋。 (右)馬出門土橋(めがね橋)と桜を♪ (左=2010.12.7、2枚=2006.4.1撮影)
堀周りを花見客と一緒にそぞろ歩き(笑) 水面の桜もきれい(^^) 城廻をしながら花見もできて幸せ♪(2006.4.1撮影)

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