【金沢城 その2】

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鶴の丸 鶴丸倉庫
藩政時代の末期、1850年頃に創建された土蔵。 腰の石貼りや窓回りの意匠等、1863年(文久3)に建造された 成巽閣土蔵(県指定有形文化財)との共通性が高い。 明治以降は、軍隊の被服倉庫として利用され、 修理されているが、基本構造は創建時のまま。 (案内板より)
(2枚=2004.5.1撮影)
水の手門跡 東の丸北面(丑寅櫓跡下)石垣
文禄元年(1592)利家は、急ごしらえの平山城であった 金沢城の石垣改修にのりだす。この石垣は、城内で最も 古い技法が用いられており、金沢城の初期の姿を伝える 数少ない貴重なものである。自然石や粗割りしただけの 石を緩い勾配で積み上げた野面積みになっている。 (案内板より)
  (2枚=2008.7.26撮影)
東の丸跡 東の丸・丑寅櫓跡 東の丸・辰巳櫓跡
草がワシャワシャ生えて…。
東の丸、丑寅櫓跡、辰巳櫓跡は、
2004.5.1撮影したもの。
東丸北側にある櫓で本丸から見て北東、 丑寅の方角。水の手門枡形から石川門、 石川橋、兼六園を見渡す重要な位置を占めていた。 (案内板より) 東丸南側にある櫓で、本丸から見て 東南、辰巳の方角にある。百間堀から 堂形御蔵方向を見渡す位置にあり、 警備上も景観上も重要な場所であった。 (案内板より)
百間堀
金沢城と兼六園の間は、かつて百間堀のあったところである。 金沢御堂陥落後、佐久間盛政の時代(天正8〜11年、 1580〜83)に造られ、前田利家の入城後、その子・利長に より改修されたと言われている。 小立野台と金沢城とを分断する、防衛上重要な水堀で、 長さ約270m、幅約68.4m、水深約2.4m。 明治43〜44年(1910〜11)の道路工事により、 現在の姿となった。 なお、別名蓮池堀とも呼ばれ、その由来については、 もと蓮が群生する沼地であったためとも、 金沢御堂の時代、極楽浄土に見立てた地名の名残りとも 言われている。 (案内板より)  辰巳櫓跡から。左側の緑の部分は兼六園。(2004.5.1撮影)
東の丸と本丸の石垣 本丸北側の石垣 あっ!
(左)手前が東の丸、奥側が本丸石垣。 (真ん中)高くて、長い! (右)途中にはこんなものが…。 (2008.7.26撮影)
本丸跡
古くは金沢御堂があった場所と伝え、 天正8年(1580)には一向一揆を打ち破って、佐久間盛政が入城し、 城普請を始めた。 天正11年(1583)の賤ヶ岳合戦後、前田利家が入城し、 天正14年頃(1586)本丸に天守閣を設けたといわれる。 天守閣は慶長7年(1602)に焼失し、代わって三階櫓が建てられた。 寛永の大火(1631)までは本丸に御殿がおかれ、金沢城の中心であったが、 大火後は二の丸に移った。(案内板より)  (2004.5.1撮影)
本丸・戌亥櫓跡
■石垣…打ち込みハギの積み方をしているが、石の隙間に 平らな石をはめ込み、切り込みハギのように 見せる技法。長い年月の間に石が抜け 落ちている所も。(案内板より)
(2008.7.26撮影)
■戌亥櫓… 本丸の北西角、戌亥の方角に当る。 東と北に「出し」という出窓が付いている二層の櫓だった。 乾櫓と書く事もある。宝暦火災(1759)の後、再建されず。 (案内板より)
(2004.5.1撮影)
菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓から。 右端が戌亥櫓跡。とても長い石垣!
室内からだと、長いまま写せるので、嬉しい(≧▽≦) (2004.5.1撮影)
鉄門
二の丸から本丸へ向かう際の本丸の正門。 慶長の創建時(1600年代)には、鉄板を貼った扉が 付けられていた事より鉄門。渡し櫓がのった重厚な門で、 本丸の防御にあたっていた。
■石垣…切り込みハギの技法。 石の表面を多角形に加工した優れたデザインで、 丁寧な造りになっている。 (案内板より) (2004.5.1&2008.7.26撮影)
本丸付段・三十間長屋 本丸付段〜薪(たきぎ)ノ丸
■三十間長屋…宝暦火災(1759)の後、安政5年(1858)に再建。 高い土台に板敷きである事から、武器・弾薬の倉庫と見られている。 (案内板より)
■石垣… 切り込みハギの技法で積まれているが、 表面の縁取りだけをきれいに揃え、内側を粗いままにしておく 「金場取り残し積み」という技法も。当時の文書も 「いきおいのある積み方」と表現。(案内板より)
夕方で暗くなってしまった…。(この段は、3枚とも2008.7.26撮影。)
この通路は、高さ約10mの急斜面を、何度も折れ曲がりながら、 本丸付段と薪ノ丸とを結ぶ石段の通路。 江戸時代前半までは通路降り口の脇に櫓が建っていた。 また、薪ノ丸には、重要書類や刀剣等の重宝を納めた 土蔵三棟の他、役所・番所が建ち並んでいた。(案内板より)
極楽橋
二の丸と本丸の間の空堀に架かる。金沢城内で はっきりした名称の付いている橋は珍しく、 金沢御堂時代の遺構であると伝承があるが、 確かな裏付けはない。

(左)極楽橋を、二の丸側から本丸付段方面を。
(左下)左の写真の左側。石垣の高さがあって格好いい〜♪
(下真ん中)左の写真の右側。
(右下)向かい側の二の丸の石垣と空堀。      (4枚=2008.7.26撮影。)
極楽橋から二の丸方面 極楽橋から本丸付段の石垣 極楽橋から空堀と二の丸の石垣
二の丸
(2枚=2004.5.1撮影) 二の丸広場では石川県のお菓子のお店がいっぱい。 実演の様子も見れて楽しかった♪
(右=2008.7.26撮影)極楽橋方面。 17時過ぎだからか、閑散としていた。 おかげで菱櫓等を、いい感じで写せた(^^)

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