トロとまったり・tripのページ(延岡城 その1)

宮崎県 延岡城

みやざきけん のべおかじょう

■延岡城=見学自由
■城山公園
駐車場=コインパーキング(※最初の3時間は無料。1時間につき200円。)
利用時間=9時〜18時

2011/5/2現在

住所=延岡市東本小路
この時は、南延岡駅の西側の県道16号を北上し、北へ延びる県道16号を北上し、 愛宕町1町目信号で、斜め左の道へ。 川を渡って、裁判所手前の延岡市中小企業振興センターの手前の道を左折 (城山公園の登り口と書いた案内の次の道)、南駐車場がある。 ちなみに、この先の市役所を過ぎた延岡市役所信号を左折、 左側に北駐車場。ここを過ぎて左折すると、正面に内堀跡。

延岡城

延岡城跡は、県(延岡)藩主・高橋元種によって慶長6年〜8年(1601〜1603)にかけて築かれた。 元種は、松尾城を拠点としていたが、鉄砲の普及による戦法の変化に対応する為、 五ヶ瀬川と大瀬川に囲まれた丘陵に県内最大の近世城郭を築いた。 当時は県城と呼ばれ、2つの河川を外堀とし、城内に内堀がつくられた。 城は、天守台、本丸、二の丸、三の丸からなる本城(城山公園)と、 藩主の居宅である西の丸(内藤記念館・亀井神社)の二郭で構成され、門・櫓などが整備された。 なかでも、二の丸にそびえる高さ22m・総延長約70mの石垣は「千人殺し」と呼ばれ、 本城郭を代表する石垣となっている。 慶長18年(1613)、元種は改易され、肥前国日之江(長崎県島原市)の有馬直純が、5万3千石で入封した。 康純の時、承応元年〜明暦元年(1652〜1655)には、城の大修築が行われ、三階櫓、二階櫓門等が完成し、 翌年これを記念して今山八幡宮に梵鐘(初代城山の鐘・延岡の地名が初見する最古資料・内藤記念館所蔵)が奉納された。 しかし、永純の時の天和2年(1682・天和3年説もあり)、火災の為三階櫓などは焼失し、以後三階櫓は再建されなかった。 元禄4年(1691)、永純は無城地の越後国糸魚川(新潟県糸魚川市)に転封となり、さらに越前国丸岡(福井県坂井市)に移封された。 その後、日向国初の譜代大名として、三浦明敬(あきひろ)が下野国壬生(栃木県壬生町)から2万3千石で入封し、 この頃から藩名に延岡が多く使用されるようになった。 明敬は、正徳2年(1712)、三河国刈谷(愛知県刈谷市)に移封され、 牧野成央(なりなか)が三河国吉田(愛知県豊橋市)から8万石で入封。 延享4年(1747)には、陸奥国磐城平(福島県いわき市)から内藤政樹(まさき)が7万石で入封し、 明治4年(1871)の廃藩置県まで8代続いた。(延岡市教育委員会の案内板より・絵図も)

内堀跡

北駐車場(コインパーキング)と北側駐車場(真ん中の写真。職員専用だったと思う。)の間にある内堀跡と土塁。

南駐車場

【左】南駐車場から遠景。
【真ん中】北駐車場もあって、どちらもコインパーキング。が、9時からしかとめられない!早く来たのに…。
【右】城山公園の碑。

南駐車場付近

【左&真ん中】南駐車場側の公園入口付近に、冠木門がある。奥に見えるのが、歴代延岡城主の碑。
【右】歴代延岡城主の碑。初代・高橋氏、2代・有馬氏、3代・三浦氏、4代・牧野氏、5代・内藤氏。家紋も紹介されている。

南側入口から進んで…

【左】南駐車場側の入口。
【真ん中】坂を少し上がると、三の丸に到着(正面)。
【右】上部には、石垣が見られる(^^)

三の丸跡

【左】標柱が立つので分かりやすい。
【真ん中】素敵な庭園も。
【右】三の丸跡から見られる石垣。

曲輪跡

【左】三の丸から西へ進んで右側の曲輪へ。左側の石垣と丸みのある土塁もいい感じ♪
【真ん中】東側から曲輪の石垣を。
【右】左の写真の道の先だったかな?

【左&真ん中】曲輪には、若山牧水の歌碑が立つ。
【右】北大手門側から。

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