トロとまったり・tripのページ(延岡城 その4)

天守台へ

【左】天守台の下の庭園。
【真ん中】本丸から天守台方面へ。
【右】写真の本来の虎口を過ぎて、現代の入口へ。

天守台虎口

平成14年7月24日〜平成15年3月31日まで、江戸時代の絵図に基づき、天守台登り口の発掘調査を行った。 その結果、絵図にある通りの登城口(虎口)が確認された。虎口とは、曲輪(広場)への入口である。 岩を削った8段の階段跡が発見され、また階段の両側には石垣が築かれていた。 さらに新たに絵図には無い門の礎石跡が3ヶ所発見された。 将来は、歴史に基づいた整備を行う予定だが、それまで登城口と階段の状況が分かるように、 土嚢を積んで保護している。(延岡市教育委員会・文化課の案内板より)

【左】本当の虎口♪ 【真ん中】内側から。 【右】外側からの石垣を。

天守台

【左】天守台。写真正面が、虎口。
【真ん中】虎口の横。
【右】鐘撞堂。今は、修復中だったので、柵だらけ。
※この鐘は、古くから「時を告げる鐘」として親しまれ、定時に鳴らされているので、来園者はむやみに鳴らしてはいけない。 聞くことが出来る時間は、午前6時、8時、10時、12時、午後3時、5時。

鐘撞堂付近からの景色。
【左】パノラマっぽく加工。風が気持ちが良かったなぁ(^^)
【右】右側の愛宕山の展望台。

【3枚】三階櫓方面へ向かう途中で見かけた、天守台の土塁、石垣を。 写真では、なかなか難しいな〜。

腰曲輪

【左】天守台から三階櫓へ向かっていると、手前に腰曲輪が♪写真左側が、腰曲輪への入口(真ん中の写真)。
【真ん中】入口の石垣。こういう、ちょっとした所に石垣が見られるのは嬉しい(^^)
【右】腰曲輪。

三階櫓跡

南北下階六間(10.8m)、東西五間(9m)の大きさで、高さが七間(約14m)があった。(標柱より)

【左】三階櫓の石垣を横から。
【真ん中】三階櫓跡には、後藤勇吉之碑が立つ。
【右】左の写真の奥の石垣。

【2枚】下側から。ここだけ雰囲気が違った感じ。格好いい〜!

後藤勇吉之碑

後藤勇吉は、明治29年11月12日、延岡市南町に生まれ、延岡中学校を卒業後上京、飛行士として修練を重ねた。 大正9年(25歳)競技飛行大会に参加、高等競技で1位m、同年空中文明博にも参加、郵便宣伝飛行を行った。 この年、郷土訪問飛行を実施、県民に驚異の感銘を与えた。 以来、航空界の寵児となり日本一周飛行、郵便飛行、輸送飛行等多くの輝かしい足跡を残した。 昭和2年太平洋横断飛行が企画されるや、その責任者に選ばれ、猛訓練が開始された。 翌3年2月29日午前8時、大村海軍航空隊を出発、霞ヶ浦に向かう途中、佐賀県岳上空で墜落、死亡した。33歳の壮年であった。 (延岡観光協会の案内板より)

延岡城 2011.5.2記

朝8時半から、見学するぞ♪とやる気満々で向かうと、コインパーキングの利用が9時から(@@) 内堀跡でも見に行こう…と向かうと、たまたま路駐してあった車の付近にとまったら、 近所の方にその車の知り合い?と聞かれ、否定はしたものの、困るのよね〜と愚痴られたり、トホホだった。 結局、9時まで駐車場の入口のバー前に陣取り、開いたら1番乗りで駐車(笑) 知っていたら、朝、もっとのんびりしていたのな(笑) さて、ここの石垣は凄く格好いい!千人殺しの高石垣は、曲線も素敵だった〜(^^) ただ、刻印を見るのを忘れた…。勿体ない…。ちなみに、見学時間は約40分。

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