【青柳城 その1】

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長野県 青柳城  ながのけん あおやぎじょう
■青柳城=見学自由
■青柳城址公園
駐車場=無料駐車場        (2009.9.20現在)
住所=東筑摩郡筑北村坂北青柳
この時は、長野自動車道 麻績I.Cを下りて国道403号 を右へ(松本方面へ)。 ずっと走って高速の下をくぐり、少し先の六工信号を左折。 真っすぐ進んで突き当りを右折して進み、また突き当たりを右折。 すぐ左折(城址跡方面へ)して、道なりに進んで碩水寺の横を通り、 坂を上る。途中で十字路(直進が、四阿屋山の表示がされた細道がある所) を左へ(カーブになっている)。そちらへ行くと城址公園。

青柳城 (案内板の写真をクリック→拡大)
清長寺の館跡・その下の寺小路の両側の侍屋敷・ 青柳城山の山城を合わせた中世の城跡である。 始めは、坂北村全部と本城村の大部分を本領にしていた 青柳氏の城であった。青柳氏滅亡後、武田信玄は川中島 への拠点として改修し、天文22年(1553)にここに 10日間泊まっている。武田氏滅亡後は、小笠原貞慶がまた 川中島への拠点とした。天正11年(1583)4月から翌年までの 1年間小笠原貞慶と上杉景勝との間で、ここと麻績城の 取り合いが4回繰り返された。天正15年に青柳氏が滅亡して、 小笠原氏の家臣の松林氏が在番している。実践の行われた 数少ない城のうちの1つである。山城には武田・小笠原の 改修により、各時代の特色が残っている。 (筑北村の案内板より)  (右)遠景。ピョコッと出た木が目印(^w^)
時計塔 駐車場入口 駐車場
城址公園の入口の時計塔を過ぎて、右側に駐車場。 駐車場の反対側が、すぐに城跡入口なので嬉しい(^^)
模擬櫓門
駐車場からすぐに城址入口。そこに立つ櫓門や櫓。 1番上で使用したものがここで、右側の写真が裏側。
櫓門から奥へ… 竪堀 二重堀切(上から)
(左)夕方4時半だったからドキドキ。  (真ん中)緊急時には物資補給路(堀底道)としても使用。  (右)おおっ!!
二重堀切(堀切から)
(左)堀切から。左側と右側の二重になっている。 (真ん中)左の写真の左側の堀切を。凄いなぁ♪ (右)反対側。
(左)左上の写真の右側の堀切へ。  (真ん中)こちらの堀切を歩いて竪堀へ。  (右)竪堀。分かりづらい(笑)
上がって… 大堀切 何かの跡?
(左)二重堀切・竪堀を見た後、上がって…。  (真ん中)大堀切。石がゴロゴロ。  (右)キチンと石が並べられてた。
二重堀切(堀切から)
(左)竪堀。二重堀切の左側。 (真ん中)五の郭手前の二重堀切。急な道。 (右)左折れになって五の郭へ。
二重堀切(上から)
(左)五の郭手前の二重堀切を上から。奥の土塁手前が歩いた道。 (真ん中)五の郭手前。 (右)振り返って。

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