【小諸城 その4】

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水櫓
水矢倉とも近世は書く、城を築くのに難攻不落は言うまでも無いが、水は城の 生命である。天正18年(1590)入府した仙石越前守秀久は、城手直しに着手した。 仙石家譜に慶長元年(1596)小諸外郭の隍(空堀)を 掘らせ、湯の丸より 水を注ぎと誌されている。現松井川のことである。慶長10年(1605)中沢川の 水を成就寺横で分水、城への用水路を設け二の丸下へ通し、 水櫓を建設、水車を使って水を揚げ、城内に給水した。 牧野氏の代、寛保2年(1742)大洪水により三の門水櫓が流失後建設された 水矢倉の図面宝暦2年(1752)が残っている。城主代々この水路を 御用水と称し大切にした。この城内唯一の水車をここに建設その名残とした。 (案内板より)
小諸宿本陣主屋
慶長16年(1611)「北国街道」に宿駅伝馬制が敷かれて「小諸宿」 が設けられた。その後「小諸宿」は、関東への出入口として、 また参勤交代や善光寺詣などの街道交通の要衝として隆盛を極めた。 参勤交代の大名などが休泊した「小諸宿本陣主屋」は、木造切妻造桟瓦葺平屋建の 豪壮な建物で、18世紀末〜19世紀初頭の建築と推定され、 当時は、市町に現存する国指定重要文化財「旧小諸本陣(問屋場)」の となりに建てられていた。その後明治11年(1878)に佐久市鳴瀬の 桃源院に移築され、寺の本堂や庫裡として使われてきたが、このたび 桃源院のご厚意により、建物一式が小諸市に寄贈された。 市ではこれを受けて旧地にほど近い現在地に建物を移築再現し、 往時の小諸宿繁栄を偲ぶ貴重な資料とともに、歴史資料館として 公開したものである。 (小諸市教育委員会の案内板より)
この時は、休館中だったから外観のみ。(2005.4.24撮影)
小諸宿本陣主屋の蟇股(蛙が股を広げたような形から)
社寺建築等で、頭貫又は梁の上、
桁との間に置かれる山形の部材。
本来は上部構造の重みを支える
もの。後には単に装飾として、様々
に彫刻して破風等につけられた。
厚い板で出来た板蟇股と中を透か
した本蟇股とがある。(案内板より)

式台玄関の蟇股。 (2005.4.24撮影)
大手門
大手門は、慶長17年(1612)、仙石秀久により築かれたとの記録が残る。 五間幅の櫓門で、屋根は入母屋造で本瓦葺となっている。 江戸時代は、瓦門とも四之門とも呼ばれていた。 大手門は、明治維新後に民間の所有となり、 料亭や小諸義塾の仮教室として利用された時期があった。 そのため、中二階や間仕切壁などの造作がなされていたので、 保存修理工事では、明治の改造を取り去って、 小諸城の入り口にあたる城門の大手門としての 豪壮な構えを誇っていた享保5年(1720)改造時の姿に 復元し、あわせて東西両石垣の孕み出しを、 建物の解体にあわせて積み替えを行った。 解体・復元にあたっては、詳細な調査を行い、 当初の形式・技法、後世の修理内容を明らかにし、 資料の確実なものは出来る限り旧形式にかえすことを 方針として、工事を行った。
 (左)外側から。上の写真の門をメインに。(真ん中)内側から。 工事の壁が…(^^;) (右)室内から。(2009.9.21撮影)
(真ん中)有料駐車場へとめて、大手門のある大手門公園へ。 (右)小諸市くらしかる浪漫館。休館中。
(2009.9.21撮影)
(左)外側の右側の石垣。(真ん中)内側から。 (右)室内から。南側の石垣はそのままなのかな? (2009.9.21撮影)
(左)この門が、料亭になっていたなんて!考えられない! (真ん中&右)付近はなにやら工事中。 (2009.9.21撮影)
権兵衛坂
諸説ある由来の1つに、仙石権兵衛秀久が 健速神社へ参拝する為に通ったからというものがあるそう♪
国道141号の本町信号から北にある坂で、すぐそばにある ほんまち遊子公園の駐車場を利用した。
(真ん中)下り坂になっている権兵衛坂。 (右)折角なので、少し歩いて振り返ったもの。(2009.9.21撮影)
旧小諸本陣
これはもと小諸の本陣兼問屋上田家の建物で 明治の中葉田村家の所有となった。 建設年代は18世紀末から19世紀初頭と推定される。 この二階建は問屋場で街道に面し間口8間正面に大きな切妻屋根の 妻を見せ、二階は腕水で持ち出し格子窓を広くとる。 当初一階正面は前面開放の縁側で内部は8室が二列に並びその前面に 畳廊下を通した間取りであった。二階は9室で部屋割りは あまり変っていない。別棟正座敷(御殿)を失っているのは 惜しいが、西隣にあるほぼ同時代の薬医門とともに北国街道に 残る数少ない構造が立派な本陣建築の1つである。 (案内板より)
光岳寺山門・足柄門(移築)
寛保の大洪水で流失した為、
明和2年(1765)に再建された
高麗門で、明治6年(1873)に
小諸城より総門として移築。



(2005.4.24撮影)
(住所=小諸市荒町1-3-4)
正眼院山門・黒門(移築)
昼下がりだったので、
暗くなってしまった(^^;)

(2005.4.24撮影)
(住所=小諸市八幡624)

■小諸城…2009.9.21記
前回、出店で思うように写せなかったので再訪。今回は、 木漏れ日が微妙だったけど、桜の時期と違って、 落ち着いて散策できたのはよかった♪改めて 城の良さを実感(^w^) 仙石秀久が主人公のコミックも読んだから、 親近感も湧いちゃって♪←単純この上なし。 ちなみに、今回は動物園もじっくり見学。 そうそう、リクガメがいてビックリ!寒い時期は、 やっぱり暖かい部屋に入れて貰うんだろうなぁ…なんて。 ふと、思ってしまった(^^;) その後、解体修復工事が終わった大手門へ。 料亭や塾に使われていたと聞いた時は、本当に 驚いた。門をそんなふうに活用するなんて! でも、大きいからあり得なくも無い。 城下町よりも低い城を改めて感じたり、 権兵衛坂も見たり、大満足の見学ができた(^^)

■小諸城…2005.4.24記
桜はとても華やかなんだけど、出店で石垣が隠れているのが残念(^^;) でも、その他は見ごたえ十分!見て回るのが大変なくらい(^^) 動物園もあって、城以外にも楽しめる。 時間の関係で動物園は全部見れなかったけど、ライオンは見れたから、大満足♪ 近くの大手門は、解体修復工事中で見る事が叶わず(T_T)完成は2008年3月になるみたい。 それにしても、小諸八重紅枝垂がとってもきれいだったなぁ〜♪

桜のページ←クリック)
※小諸城のページは、2005.4.24、2009.9.21撮影の 写真を使用。(表記あり)

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