【高取城 その1】

・・・高取城は2ページにわたって紹介・・・  【1】 【2】  ■次へ→

奈良県 高取城 ならけん たかとりじょう
■高取城(別名=芙蓉城、鷹取城)=見学自由
駐車場=無し             (2006.3.19現在)
住所=高市郡高取町高取
(この時は)西名阪自動車道 郡山I.Cを下りて、国道24号を橿原市方面へ進み、 国道169号の高取町方面へ進み、壷阪寺の大きな看板を県道119号へ(清水谷信号)を左折。 ひたすら壷阪寺へ進み、通り過ぎて狭い山道を上がると、左に高取城の説明板。 その付近に4〜5台駐車可能なスペースあり。(※壷阪寺に有料駐車場あり。) ちなみに、国道169号を進んでいる途中、右に壷阪霊園の看板、 左に高取城の看板(高取の散策板というべきか)があるが、 そこを車で左折すると迷うし、狭く、上で書いたもう少し先の壷阪寺の大きな看板を (清水谷)曲がった方が無難。

高取城
高取城は別名、芙蓉城とも言われ、近世山城の典型としてよく知られ、 巽高取雪かと見れば 雪でござらぬ土佐の城 とうたわれている。 築造年代に関しては元弘2年(1332)との説もあるが確実ではない。 しかし、南北朝時代、南大和に大きな力を振るった越智氏の支城の1つとして 築かれた事は疑いない。 元弘の頃に一時、小嶋氏の居城となり、さらに越智氏の居城となった。 城の形態としては、永正から天文(1504〜54)の頃に、整備されたと 見るべきであろう。当初の頃は、越智氏にしても高取城をたんに、 越智城、貝吹山城に対する出城としか考えていなかったようであるが、 自然的要害の条件を備えているところから、次第に本城的なものとして 重視されるに至ったようである。 越智氏なき後、織田信長の城郭破却令によって廃城となっていた 高取城の復活が筒井順慶によって企図され、天正12年2月、 高取城を出城と定め、郡山城ともども工事を進めたのであった。 この一国的規模での本城-出城主義の方針は、豊臣秀長にも引き継がれ、 本格的に近世城郭としての高取城が築かれたのは、百万石の大名として、 郡山城に入った豊臣秀次と秀保の時代であった。 その後の歴代城主は本多氏が寛永14年(1637)3代で断絶し、 寛永17年10月、植村氏が入部し、明治維新を迎えたのである。 城跡は、標高583.3mの山頂部を本丸とし、以下二の丸、三の丸、大手曲輪、 吉野口曲輪、壷坂口曲輪が連なっている。 それに隣接する外郭部は、侍屋敷群と放射線状に延びる大手筋、 岡口、壷坂口、吉野口の入口があった。 これら主体部はかつて土塁、柵、空堀等により、段丘状の削平地に築かれた 中世城郭の城域を一部拡大したものであったろう。 その意味で現存する内郭、外郭の縄張りは兵法を強く意識した近世城郭の 完成期の特徴を示す構造になっている。 例えば、矢場門から宇陀門、千早門そして大手門の門合石組み遺構に見られるように、 いずれも右折れ虎口(入口)として配置されている。 その他、本丸の桝形虎口の精緻さや、本丸の各隅角部石垣に利用された転用石材 (寺院の基壇石、古墳石室の石材等)も特記されよう。 また、本丸、鉛櫓下の背面に補助的に設けられた付台石垣の下に配列された 胴木の存在は山城での遺構例として唯一の発見例として注目すべきものである。 ところで、廃城後の建造物については、その殆どが明治中期に取り壊された。 石垣はほぼ今日まで原形を残しているが、一部崩壊やひずみの激しい箇所の 修理を昭和47年以降、繰り返し実施している。(奈良県教育委員会の案内板より)
高取城の地図 (写真をクリック→拡大) 入口
石垣(名前は?) 壷阪口門跡の石垣
山道を登っていくと石垣がすぐにある(^^) 凄い!この石垣の高さといったら!
壷阪口門跡
壷阪口門跡の石垣を見上げながら、滑り止めがあるにもかかわらず、 ツルツル滑る木の上を歩いて行く。
壷阪口中門跡の横の石垣 壷阪口中門跡
ズリズリと滑る足場の悪い山道を登って、この石垣が見えれば、 もう平坦な道での石垣散策の始まり〜(^^)
壷阪口中門跡 壷阪口中門跡から入って右
壷阪口中門跡から入ると「おお〜っ!」と声に出るくらい 高い石垣が迎えてくれる(^^)しかも苔の生し方も凄い!
壷阪口中門跡から先を見る その先へ歩いて行く…
小学生もこの石垣の凄さにビックリしてて、左の写真の 右側の高い石垣で記念撮影してた(^^)その気持ち分かる〜!
侍屋敷跡 在りし日の高取城
石垣の色がどす黒いな(^^;) (右)明治20年代後半、高取城が取り壊される直前の写真。この付近かなぁ?
千早門跡 大手門跡
千早門跡は荒れ放題。その後に見る大手門跡はとてもきれい(^^;) 石垣はビックリするくらい苔に覆われてる!
大手門跡 大手門跡の石垣
大手門跡の石垣を写してみた!ドーンと高くて長い! 高取城はこういう石垣が多くて嬉しいなぁ〜(^^)
十三間多門跡
どうだ〜!!と言わんばかりの石垣が続く(^^) ここを通ると二の丸へ。それにしても本当に凄い!

・・・高取城は2ページにわたって紹介・・・  【1】 【2】  ■次へ→

【 奈良のもくじ 】 上へ
下にメニューフレームが出ていない場合の、top へは→ top に戻る