トロとまったり・tripのページ(鬼ノ城 その1)

岡山県 鬼ノ城

おかやまけん きのじょう

■鬼ノ城=見学自由
■鬼城山
■鬼城山ビジターセンター(無料)
開館時間=8時半〜17時15分
休館日=月曜(祝日の場合翌日)、年末年始
※変更あり。
駐車場=無料駐車場

2009/4/30現在

住所=総社市黒尾
この時は、岡山自動車道〜岡山総社I.C〜。鬼ノ城の案内に従うんだけど、 この時はあちこち走ってしまい、遠回りしてしまったけれど、手前の砂川公園に着いた時は安心した(^^;)

鬼ノ城

鬼ノ城は標高約400mの鬼城山に築かれた壮大で堅固な古代山城である。 吉備高原の南端に位置しており、眼下の惣社平野には集落が営まれ官衙(…かんが・役所)、寺院などが造営された。 また、古代の山陽道が東西に走り吉備の津(港)から瀬戸内海への海上交通も至便であり、まさに政治、経済、交通上の要地を一望できる。 鬼ノ城の山容はすり鉢を伏せたような形状をし、山頂付近はなだらかな斜面となっているが、山の八〜九合目より以下は著しく傾斜している。 この山頂部との傾斜が変化する部位に城壁が築かれ、全周約2.8kmに及んでいる。 城壁は版築工法により築かれた土塁が主体をなし、城門が四ヶ所、排水機能をもつ水門が六ヶ所、また石垣などにより構成されている。 特に復元整備を実施している角楼から第0水門までの城壁は、巨大な西門や、ゆるぎなく突き固められた土塁が復元され、当時の雄大な姿や精緻な築城技術を窺う事ができる。 城内はおよそ30haという広大な面積があり、これまでに礎石建物跡、溜井(…ためい・水汲場)、土取場などが見つかっているが、今後の調査により更に新たな発見が期待される。 築城の時期については諸説あるが、大和朝廷が朝鮮半島の百済軍救援のために出兵した白村江(はくきのえ)の海戦(663年)において大敗した後、 唐、新羅連合軍の日本侵攻を恐れ、急ぎ西日本各地に築城した城の1つと考えられている。 鬼ノ城は当時の東アジア情勢を鋭敏に反映した遺跡といえる。(総社市教育委員会の案内板より・案内図も)

遠景

左下の写真を切り取り加工したもの。かなり広い。

【左】見学前は、どの山にあるの?って感じだったけど、見学後だとよく見えていたんだと気付いた(笑)

駐車場
遊歩道
巨石

【左】7時40分だけにガラガラ。
【真ん中】遊歩道を歩いて行くと…。
【右】あちこちに巨石が見られる。

学習広場&鍵岩

【左】駐車場から5分弱。この先に展望台。
【真ん中】学習広場という展望台。
【右】不思議な形の鍵岩。

【左】学習広場から。復元された西門や角楼等が一望!
【右】反対に、角楼から。凄い所に展望台がある(^^;)

【パノラマっぽく加工】学習広場から総社平野を見渡す。朝早いと気持ちがいいなぁ♪

角楼

日本の古代山城では、初めて具体的に確認された特殊な施設である。 中国の城郭で言う「馬面(ばめん)」、朝鮮半島での「雉(ち)」に当たる。 ここは、尾根続きで攻められやすいため、城壁の死角を補い防御力を高める事を目的として、城壁の一部を長方形(13×4m)に張り出している。 角楼の下半部は、両側の石垣と同じように石垣積みで、ほぼ4m間隔で一辺50cmの6本の角柱が石垣の間に建っていたことが分かった。 また城内側には、この施設への昇降のための石段も設けられている。しかし、この上に建物などがあったかどうかは不明である。 最高所の鬼城山・西門と一体となって、強固な防御ゾーンを形成している。(総社市教育委員会の案内板より)

【右】学習広場から。

西門

■西門…鬼ノ城は、四ヶ所に城門を設けている。 いずれも掘立柱の城門で、通路床面に大きな石を敷き、床面と城門前面に2m近い段差を持つ(懸門…けんもん)ことを特徴としている。 西門は、南門と同規模の大型の城門で間口3間(12.3m)、中央1間を通路とし、2間の奥行をもち、12本の柱で上屋を支える。 柱は一辺最大60cmの角柱を2mほど埋め込んでいる。 本柱に合わせたくり込み、方立(ほうだて)柱穴、軸摺(じくずり)穴、蹴放(けはな)しが一体的に加工された門礎をもつのは、鬼ノ城のもののみである。 西門は日本最大の古代山城大野城の大宰府口城門(間口8.85m)をしのぐ、壮大堅固な城門である。

■西門の復元…西門跡は、極めて良好な状態で残っていた。 12本の柱の位置と太さ、埋め込まれた深さ、各柱間の寸法も正確に知る事ができ、 また通路床面の石敷や石段、敷石もよく残っていたので、城門の規模と構造を具体的に知る事ができた。 そこでこれらの資料をもとに、関連資料を参考にし、戦闘の場としての機能を考慮して三階建ての城門に復元している。 一階は通路、二階は城壁上の連絡路、三階は見張りや戦闘の場としての機能を持つものである。 屋根は調査時にも瓦は出土していないので、板葺きにしている。古代山城の城門の復元例としては、初の事例である。 (総社市教育委員会の案内板より)

【左】学習広場から。

【真ん中】周りに付けられている装飾によって、いっそう異色さを増してる(^^;)

城壁(高石垣&第0水門)

【左】何とも言えない不思議な城壁。

鬼ノ城は、頂上部から斜面に変わる辺りに鉢巻をしめたように2.8kmにわたって城壁が築かれている。 城壁は直線を基本とし、多少の高低差はあるものの、下幅約7m、上幅約6m、高さ約6mの規模をもち、城壁で囲まれた城内面積は約30haに及ぶ広大さである。 城壁の大部分は、土を少しずつ入れて突き固めた「版築(はんちく)土塁」で、要所の6ヶ所には高い石垣を築いているが、基本的には土城である。 また城壁の高さと一体となって攻略の難しい一大防御壁となっている。 ここには版築土塁・高石垣・水門があり、城壁の特徴をよく示している区間である。(総社市教育委員会の案内板より)

【左】高石垣。 【真ん中】第0水門? 【右】学習広場から。

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