トロとまったり・tripのページ(岡山城 その3)

烏城七不思議

…展示室の屏風にかかれていたもの…

■1…烏城のいわれ
岡山城は烏城という愛称を持っている。 お城の天守閣が、その外部の壁を塗った板で張ってあるので烏にたとえそう呼ばれている。 また宇喜田秀家が建築した当時は、屋根瓦に金箔を押して金色であった為、金烏城(きんうじょう)とも呼ばれたと伝えれられている。

■2…蓮華石
本丸表書院の南端の鉄門をあがった南側の石垣に、蓮華石という奇妙な石があると、江戸末期の書物に載っている。 歯が痛む人がこの石に祈ると、たちまち痛みが止まると言われていた。 この石が蓮華石とよばれたのは、蓮華に似た偶然の模様を珍しがってのことのよう。

■3…対面所の怪談
二の丸の対面所の長屋に夜になると狐や狸が現れるので化け物屋敷と呼ばれ、誰も住む者がいなくなった。 この話を聞いた殿様は、ある者に様子を見に行かせた。 すると色々な怪物が現れ、踊り始める。彼は、これは愉快だと扇ではやし立て、化け物どもを躍らせて夜を明かした。 踊り疲れたのか化け物はその後は姿を現さなくなり、長屋は元通り人が住めるようになった。

■4・榎の馬場
岡山城の歴史の書物には、必ず内山下の榎の馬場が登場する。 今の岡山県庁の前通りがこれに当たり、宇喜多氏築城の始めから、ここに榎の大木があったので、そう呼ばれるようになったと伝えられている。 江戸時代に備前日蓮宗、三大寺院の1つとされた蓮昌寺は、もとこの場所にあった。

■5・本丸の大火
寛永11年(1634)正月11日、城主池田光政が参勤交代で江戸に滞在中に、本丸の建物が失火の為全焼し、天守閣にも燃え移ろうかという大事が生じた。 天守閣の焼失は家臣の努力により食い止められ、天守閣は焼け残ったが、再建されるまで多くの日数と労力を要した。 天守閣が焼け残ったのは櫓や城門と同様、城の大切な部分には、耐火の工夫がなされていたからであろう。 また大火のある前に、表玄関の柱に白羽根の矢がつき立っていて、白矢来る(シロヤクル)が城焼くるに音が通じ、城の大火を予言した者がいたとも伝えられている。

■6・天守閣の虹梁(こうりょう)
焼失前の天守閣の四階には円材のまま横に渡した大虹梁(上に反った梁)があった。 姫路城や松江城など後期の城の天守閣は、下から上に通した二本の心柱をたてているが、 関ヶ原合戦よりも前に建てられた岡山城は、心柱は用いていず、円材のまま横に渡した太い虹梁が特徴だった。

■7・ぬけ穴の正体
岡山城に限らず、多くの城には「ぬけ穴」の話が残っているが、岡山城の場合はその入口が本丸の本段に隠されていた。 地下を通って城内のどこかに脱出する様になっていたとか、旭川の川底をくぐって、 後楽園内に脱出できるようなトンネルが掘ってあったと言い伝えられている。

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