トロとまったり・tripのページ(日出城 その2)

本丸南東側

【左】本丸南東の石段を下りると、城下海岸へ。 この時、中学生かな?女の子2人が、かったるそ〜うに歩いていたのが、印象的だった(笑) ところで、この石段を下りなかったので、下からの石垣を撮ることが出来なかった(^^;) まだ、この後の予定があったから、体力温存(笑)
【右】右上が、天守台。

本丸南側・石段

【左】本丸南側へ進んで石段へ…。
【真ん中】上がると天守台下に、左は望海櫓(望海楼)方面へ。
【右】振り返って。

望海櫓(望海楼)へ

【左】望海櫓(望海楼)への石段。
【真ん中】振り返って。天守台の石垣が素敵。
【右】この付近から本丸南西を。

望海櫓(望海楼)から天守方面へ

【左】望海櫓への石段を上がって右側に天守方面の石段。
【真ん中】ここから天守へ続く石垣。
【右】振り返って。

望海櫓(望海楼)の石垣

【左&真ん中】櫓台上より、こちらの方が好きかも(^^)
【右】望海櫓(望海楼)から続く本丸南西の石垣。

本丸・天守台

【左】天守西側の付櫓跡。 【真ん中】天守への石段。 【右】天守台北側の石垣。

【左】天守上。校舎が見える。
【右】左の写真の石段手前。

【左】パノラマっぽく加工。ぽこっと出た山が高崎山♪ 【右】下から見た天守台♪

天守台の石垣

【左】東側の堀跡から。
【真ん中】南側。これが1番きれいな形かな?
【右】南側から。すぐ近くで。高くて大きい!!

■日出城の石垣…日出藩初代藩主・木下延俊は、慶長6年(1601)秋より約1年の歳月をかけて日出城を築いたが、 石垣の構築は細川忠興の家臣で築城の名手・穴生理右衛門(あのう りえもん)の指揮によってなされたといわれている。 「穴生(あのう)」は、近江国穴太(滋賀県)の石工の集団・穴太衆を指す。 穴太衆は、安土桃山時代から江戸時代にかけて多くの城の石垣を手掛けた。 穴生理右衛門もまたその一員であったと思われ、彼の指揮により築かれた日出城の石垣は、「穴太積み」として呼び親しまれている。 日出城の石垣は、築石に自然石や粗割石を用いた「野面積み」の技法で、「乱積み」と「布積み」の中間にあたる「布目崩し積み」により構築された。 日出城本丸天守台の石垣に見られるように、こうした規模の穴太積みの石垣は、大分県下においても大変珍しいといわれている。 日出城の歴史と共に「穴太衆」そして「穴太積み」の歴史を語り継ぐ貴重な石垣である。(日出町教育委員会の案内板より)

本丸南西〜西側の石垣

【左】望海櫓(望海楼)から南西へ続く石垣。
【真ん中】西側の石垣♪格好いいねぇ。
【右】真ん中の写真から左側。

本丸南西の城下海岸

海中の真清水が湧く一帯は、「城下かれい」の名で知られるマコガレイの棲息地なんだそう。
【左】本丸南西の城下海岸。別府湾がすぐそこに〜(^w^)
【右】この辺りも石垣が続く♪

本丸北西の堀跡へ

【左】暘谷稲荷(赤い鳥居)側から本丸北西の堀跡方面へ。ちなみに、写真手前付近に、人柱祠がある(^^;)
【真ん中】坂を上がり、右側の堀跡へ。写真では分かりづらいけど、高い石垣の真ん中辺りに、段が見られた。
【右】高い石垣に挟まれた堀跡♪ところで、左側の覆いが被されている建物は、鬼門櫓。でも、場所が違う…。

【左】暘谷稲荷方面に振り返って。車が止まっている所の奥が堀跡。この写真だと、正面の石垣の段が分かる(^^)
【真ん中】左の写真の正面の石垣。
【右】左の写真の手前の石垣。坂を上がっていくと、到道館がある。

本丸北西の堀跡と月見櫓跡

【左】左側の石垣上が月見櫓跡。正面に、別府湾と高崎山が♪
【真ん中】角度を変えて。
【右】大手門跡方面。

日出城 2011.4.30記

心配だった駐車場は、観光客用駐車場があったので、安心して駐車ができた(^^) ところで、下調べで、城跡は小学校…ということで、どうかな?って思っていたけれど、凄かった(@@) 天守台を含め、高石垣がど〜んと残っているし、格好いいし、堀跡も深く、海岸線にも石垣が残るし、ぐるりと1周するのが楽しかった(^^) ただ、小学校があるというだけで、城跡散策は大満足(^w^)この時、曇っていたのに、凄く蒸し暑かったのには参ったけど(^^;) 日出城の前に見学した杵築では、晴れていても、風があって丁度いい気温だったから、違うもんだなぁと、びっくり。 ちなみに、見学時間は、約40分(お寺と外大手門跡は含まず)。

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