トロとまったり・tripのページ(鉢形城 その5)

二の曲輪

【左】二の曲輪。

二の曲輪は、平成9年度に発掘調査を実施した。その結果、掘立柱建物跡・工房跡・土杭・溝などが検出された。 柱穴は位置の確認だけを行い、工房跡や土杭の一部、溝などを調査した。工房跡は3軒確認されたが、埋まっていた土の中の隅や鉄滓(てっさい…鉄のカス)、 さらに鞴(ふいご)の羽口(はぐち…鍛冶炉の通風口)が出土していることから、鍛冶工房と判断した。 調査によって、現在城山稲荷神社の参道になっている土塁の他に、二の曲輪と三の曲輪を区画する堀に沿って、土塁の基礎の部分が確認された。 前者は地山を掘り残したもので、後者は盛土で造られた土塁である。 また、堀と土塁の間には、広く長い空間が確認されており、敵に攻められた際に城兵が守備につく空間と思われる。 鉢形城には多くの土塁が良く残っているが、中でも三の曲輪の土塁は、石積土塁として注目される。二の曲輪と三の曲輪を隔てる堀の発掘調査は、平成9年度と11年度の2回にわたって実施した。 その結果、最大上幅約24m、深さ約12mの大規模な堀である事が判明した。また、堀の底には、畝と呼ばれる高まりが発見された。 畝は、敵兵が堀底で動き回るのを防ぐためのものであるという説と、堀底の水を一定に保つためのものという説がある。このような畝を持つ堀を障子堀といい、 小田原城、岩槻城や深谷城などの後北条氏系城郭の特徴とされてきたが、近年の発掘調査例では、後北条氏の時代より前から障子堀が用いられてきたようである。 二の曲輪の土塁は、高さが不明であることから、位置を示すことを目的に低く復元している。また堀は、遺構面の保護と安全対策から堀底を高くしている。(案内板より)

【左】二の曲輪を角度を変えて。
【右】左の写真の左側下(写っていない)にある土塁。

二の曲輪・土塁&空堀

【左】二の曲輪内から見た土塁。
【右】左から二の曲輪の土塁、細長い平場、柵の右側に三の曲輪との空堀がある。写真だと、全部緑だから平面に見える…(^^;)

【左】右上の写真の反対側で、馬出(伝御金蔵曲輪)方面。少し空堀っぽく見えるかな…。草が無ければよかったんだけど(^^;)
【右】伝逸見曲輪、馬出付近から。二の曲輪の土塁の下が、細長い平場、柵の下に空堀。この角度だと、空堀が分かりやすい♪

二の曲輪・北西側

【左】城山稲荷神社。
【真ん中】付近に掲げられた「マムシに注意!」の看板。えっ!マムシ!?と驚きつつ、 「マムシだよ〜ん」と言っている絵が可愛いくて笑顔になる(^^)
【右】通路と写真奥が参道。

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