トロとまったり・tripのページ(小谷城 その3)

京極丸

大永4年(1524)亮政が主君京極高清、高延父子を迎えた処である。 天正元年(1573)8月27日夜半、この曲輪の清水谷側、大野木屋敷を経て侵入してきた秀吉の軍勢のよって、占拠され小丸の久政と本丸の長政との連絡を絶たれた。(案内板より)

【左】京極丸の虎口。コロンと石が転がっているのは名残なのかな。
【右】京極丸。

【左】中の丸から京極丸へ。
【右】京極丸の土塁。

小丸

二代目城主久政の隠居後の居所である。 久政は天正元年8月27日、信長の先鋒秀吉軍の侵攻を受け、鶴松太夫の介錯により、49才を一期としてここに切腹して果てたのである。(案内板より)

【左】小丸。木漏れ日の中、まだ先はあるのか…と歩き続け…。
【右】小丸から山王丸へ。

山王丸下の大石垣

【左】こんな大石垣が見ることができた!何とも言えない迫力っ(≧▽≦)

山王丸

山王権現(現小谷神社)の祀ってあったところ。海抜395mの高所にあり、詰の丸と思われる。 東南部の巨石による野面積み石垣は興味尽きない遺構の1つである。(案内板より)

【左】山王丸の虎口にもゴロゴロと大きな石!凄い!
【真ん中&右】これも虎口?表側と裏側から。虎口から入って振り返ると外は見えない(^o^)

山王丸は何段もなっているのか、土塁を越えても曲輪が続く。
【右】山王丸の奥の土塁。

【左】1番上の山王丸。右上の写真の土塁を上がると1番上の山王丸。
【真ん中】1番上の山王丸の先端。先端部分は少し低くて、六坊へ下りる事が出来る。
【右】山王丸から大獄城跡の遠景。さすがに、大獄城跡までは行くことが出来ないので遠景(笑)

六坊

当地は、二代城主浅井久政の古文書に「當城搦手」と書かれている。 久政は江北支配を進める上で、軍務や政務を司っていた六つの寺院が散在して、不便であった為、ここに集めたと言われる。 また小谷城跡絵図には六坊から発する山続きの道を「越前忍道」と記されている。(案内板より)

真ん中の写真で分かるように、道は?みたいな雰囲気で、足場が悪い。 勿論、ちゃんと道はあるんだけど(笑)本当の登山。しかも、「山王丸、六坊付近で熊が出没しました。」とあれば、ヒヤヒヤもの。 熊が出るかも…とビクビクしながら突き進んでいくと発見♪下の大き目の2枚のような景色が!苦労したけど来てよかった〜(^^)
【左】1番上の山王丸の先端部分は少し低くて、六坊へ下りる事が出来る。
【真ん中】六坊へここから下りる。
【右】六坊の標柱。

【左&右】六坊。凄く素敵だった(^^)

小谷城遠景

コンビニから遠景を。山に「史跡小谷城跡」の看板があった。

小谷城 2006.5.1記

【写真】駐車場にあった大河ドラマの幟。
中世城郭での日本五大山城の1つに数えられているこの小谷城。 中腹まで車で行く事が出来たので楽に見る事が出来てよかった。 とはいえ、なだらかな坂道を登っていくのは結構大変で、しかも春だというのに暑くて、汗ダラダラ。 飲み物を持参していて本当によかった。それにしても、見所がたくさんで、ちゃんと説明文もあって親切。 それに、土塁も石垣も残っていて、山城だけに大きな空堀も見ごたえあった。 城マニアの人も多くて、さすがだなぁ〜と変なところに感心したりして(笑) しかも、行く先々で同じ人と出会ってしまって、なんだか気恥ずかし〜。 いや、それはいいとしても、浅井さんとお市の方のこの地を訪れる事が出来て、感慨深いものがあった(^^)

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