トロとまったり・tripのページ(浜田城 その6)

出丸の石垣跡(三丸入口付近)

■三丸と出丸石垣…左やや上の階段に人頭大の石が集中して見られる。 これはこの上に配置された出丸と呼ばれる曲輪の石垣を明治34年〜36年にかけて撤去し、階段を整備したために、石垣の裏込め石が露出したものである。 従って、本来は正面に高い石垣があり、ここで折れ曲がって、背後にある二ノ門へ向かうルートしかなかった。 背後にある階段を登ると「三丸」と呼ばれる曲輪となる。 「浜田城石垣絵図」によれば、この「三丸」から山頂の本丸までの石垣に全て塀を廻らせ、「三丸」から山麓の中ノ門までの石垣には塀を設けていなかった。 浜田城は周囲からよく見える山頂部周辺にのみ塀を廻らせた「見せる城」とも評価できる。(浜田市教育委員会の案内板より・絵図、復元写真も)

三丸入口付近から出丸への石段

【左】石段を上がった所が出丸。本来は石段の手前に石垣があって、出丸へは行けなかった。
【真ん中】出丸。正面が本丸入口。
【右】真ん中の写真の右側。二丸の石垣かな?

出丸

浜田城の出丸は、本丸や二丸、三丸と呼ばれる中心的な曲輪から唯一西側に突き出し、独立的な曲輪として配置されている。 その為、出丸という名称が付けられたものと考えられるし、また「本丸脇千人溜り」とも呼ばれていた。 記録には、「二ノ門ヨリ出丸ノ方石垣塀 十二間(約22m)」とあって、二ノ門からの位置が示され、規模についても 「出丸 東西十三間二尺(約25m) 南北十三間一尺(約25m) 此坪数百三十五坪三歩」と記されている。 出丸への出入口は、二丸の曲輪石垣横にあった道と出丸の右手奥にあった出丸木戸しかなかった。 出丸木戸を出ると、本丸石垣の周囲を廻る道があった。(浜田市教育委員会の案内板より・絵図も)

【左上】二丸から出丸を見下ろして。
【左】出丸。出丸木戸付近を確認しなかった…(^^;)

出丸から本丸へ

【左】出丸側から本丸方面。
【真ん中】二丸から出丸方面。結構な傾斜。
【右】本丸側から。

濱田護国神社・参道

【左】濱田護国神社側から鳥居方面。
【真ん中】参道を歩いて二ノ丸の土塁を。石垣の名残?
【右】参道。

【2枚】参道からの景色。
【左】(写っていないけど)写真左が中ノ門跡。
【右】中ノ門跡の石垣がよく見える♪

【左&真ん中】濱田護国神社の鳥居。
【右】シュッとした狛犬の背後で咲き乱れる花。きれい〜♪

▲上へ戻る