トロとまったり・tripのページ(松江城 その3)

一ノ門

【左】一ノ門も素敵!
【右】天守から見下ろして。この日は、あまり天気が良くなかったけど、う〜っすらと宍道湖が♪

天守

松江城天守は、外観5層、内部は6階で、高さは約30mあり、全国有数の貴重な天守閣として昭和10年5月13日付で国宝に指定されたが、戦後まもなく、文化財保護法により、昭和25年に重要文化財に改称された。 特徴は、最上階が四方を見渡せる望楼様式であり、壁は白壁が少なく、黒く厚い板でおおわれ、石垣はごぼう積みと呼ばれる積み方がしてある。 城内には兵糧貯蔵用の穴倉、井戸、総桐の階段、寄木柱、石落とし等を備え、実践本意に造られている。 また、松平家の家宝備前包平の太刀、武具、調度、古文書、松江城天守雛形など、約200点を展示している。(案内板より)

夜景=2010/11/21撮影。

天守からの景色

パノラマっぽく加工。

パノラマっぽく加工。

桐の階段
石落とし
松江城模型

室内にはいっぱいの展示物が!時を知らせる太鼓もあったけど、太鼓櫓で使われていたのかな。

模型

【左&真ん中】旧藩時代の松江市街。
【右】昭和34年現在松江市全図。

弓櫓跡
多門跡
坤櫓跡

【左】微妙に分からなかった(^^;)
【真ん中】両側に多門。
【右】この時は、整備工事中で、入れないようになっていた。

一ノ門を裏からと多門
多門跡
武具櫓跡

祈祷櫓からここ武具櫓跡まで、長屋造りの多門で続いていたなんて凄いなぁ(^w^)

祈祷櫓跡

本丸にあった6つの櫓の1つ。築城前には、この櫓の建った所に塚があり、また榎木を神木とする荒神が祀ってあった所であり、築城時にしばしば石垣が崩壊する怪異が生じた。 「祈祷櫓」の名称は、それを祀りなおし、以来毎月この櫓で松江城の安全祈祷を続けた事に由来している。 この櫓は「東之出し矢倉」とも記されているが、幕末頃には伝説に基づいて「コノシロ櫓」とも呼ばれた。 二階建てで、1階は3間と6間の18坪、2階は10坪であり、南側の武具櫓へは長屋造りの多門で続き、北側へは瓦塀が続いていた。 (案内板より)

■コノシロ櫓の伝説■ 寛永15年(1638)松江松平家初代藩主・松平直政公が信州松本から入国し、初めて松江城天守閣に登ってみた。 最上階の天狗の間までさしかかると、そこに1人の美女が現れ「この城は、わらわが城なり」と言った。 直政公は、瞬時に「このしろ(城)が欲しければ明日にでも与えよう」と答えると、女は消えていった。 直政公が、魚の「コノシロ」を取り寄せ天狗の間に置かせておくと、その翌朝「コノシロ」を乗せておいた三宝が荒神櫓で発見され「コノシロ」は無くなっていた。 その後二度と女が姿を見せる事はなかった。 この妖女は築城の際の人柱だと噂されたと言うが、直政公の機転力を示すものとしても伝えられている。(案内板より)

鉄砲櫓跡
乾櫓跡
奥去口ノ門跡

北ノ門

ここからは、自分好みの石垣がいっぱいだった(^^)♪

【左】奥に見えるのが、北ノ門。この石垣はなにかな?
【右】腰曲輪。北ノ門近くの道。この時は通行止めだった。

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