新東名高速道路 ・ 愛知県(その他 2.新城市)
・・・ 2.新城市 ・・・
【2.おおまかに:長篠設楽原PA(下り)/ 2016】
【左】11時20分頃のPA。織田と徳川の家紋がたくさん!(2016/12/28撮影)
【右】PAから織田信長戦地本陣跡方面。(2016/12/28撮影)
【左】三つ葉葵と織田木瓜の幟。(2016/12/28撮影)
【右】建物側から駐車場方面。(2016/12/28撮影)
【左&右】建物を角度を変えて。(2016/12/28撮影)
【左】織田木瓜だらけの自販機。上部には信長の兜!(2016/12/28撮影)
【右】長篠合戦図屏風が描かれた自販機が並ぶ。(2016/12/28撮影)
室内の奥平信正公・亀姫様 御夫婦座像。製作者:加藤夢堂(本名/昭吾)氏。(2016/12/28撮影)
この夫婦の座像は、長篠の戦いで名を馳せた戦国武将・奥平信正公とその奥方・亀姫様です。
奥平信正公は、弘治元年(1555年)、現在の愛知県新城市作手に生まれました。
天正3年、徳川方として長篠城を守っていた信正公は、三河に侵攻した甲斐の武田勝頼軍1万5千に攻められますが、
僅か500名足らずの手勢で籠城し、これを守り抜き、信長公や家康公からその戦功を大いに讃えられました。
長篠合戦では火縄銃の活躍が象徴的ですが、信正公の籠城戦こそが、織田徳川連合軍の勝利の糸口となったことはまぎれもありません。
亀姫様は永禄3年(1560)、徳川家康公の長女として駿府に生まれました。
長篠合戦の翌年、天正4年に信正公のもとへ嫁ぎ、その後4男1女を授かりました。
徳川2代将軍・秀忠、3代将軍家光の姉にもあたる為、晩年は<加納大夫人>と尊称され、将軍家の威光を後ろ盾として威勢を誇ったと伝えられます。
この夫婦座像は、新城市ご出身で、<夢堂>を号した陶塑工芸家・加藤昭吾氏(故人)による作品です。
郷土の歴史や、その土地に息づいた人々を識り、学び、愛おしむ。その機会を提供することが、郷里・新城のまちおこしへの貢献になる。
そんな想いから、夢堂氏はこの座像を制作されました。豪壮な面持ちの信正公からは、戦国の華々しい舞台となった三河の山々の雄々しさを感じます。
また亀姫様の笑顔はとても柔和で、まるで新城の野を吹き渡るのびやかな風のようです。新城市民の誇りでもあるお二人。
その仲睦まじい姿は、ここ長篠・設楽原古戦場の場所から、歴史と自然豊かなふるさとのあゆみを、やさしく見守りつづけます。(説明板より)