トロとまったり・tripのページ(岩国城 その1)

山口県 岩国城

やまぐちけん いわくにじょう

■岩国城(別名=横山城)
入場料金=260円
(※岩国城&ロープウェー&錦帯橋との共通券あり)
開館時間=9時〜16時45分(入場は16時半まで)
■ロープウェー=往復540円
(※岩国城・ロープウェーは12/16〜12/31は休み。)
■錦帯橋=往復300円
駐車場=無料駐車場

2007/1/4現在

住所=岩国市横山
山陽自動車道 岩国I.C〜岩国市上多田信号を国道2号へ右折。 途中で、右側の県道112号へ。錦帯橋がある河原(河川増水時は閉鎖。時期により有料かも?) に駐車場があるので、河原に近い道へ。

岩国城

【左】遠景。小さいなぁ…。
【真ん中】案内板の写真をクリック→拡大。
【右】ロープウェイ山頂駅側の案内。

岩国地方には、平安末期に岩国氏と称する平家に属する一族がいて、 相当の勢力を持っていたが、寿永4年(1185)壇ノ浦の合戦でその地位を失った。 之によって勢力をふるったのが弘中氏で、鎌倉時代末期には周防国守護職であった大内氏の武将となっていた。 しかし、弘治元年(1555)厳島戦争で毛利元就に敗れ、滅亡した。 戦国時代の末期、中国地方のほとんど(8カ国3郡)を領有し、112万石の大大名となった毛利氏も、 慶長5年(1600)、関ヶ原の役ののち、防長2国に減封され、出雲の国富田城(12万石)にあった吉川広家も岩国3万石(6万石)に転封された。 吉川氏の家系は藤原氏の分かれで、もともと関東が地盤だった。 吉川氏の始祖、経義は、駿河の国に始まり、正和2年(1313)5代経高は安芸国に移り、13代271年の間活躍した。
尚、初代岩国藩主、吉川広家は、サンフレッチェ(3本の矢)の教訓状を書いた毛利元就の子元春(吉川氏の養子)の三男にあたる。 広家公は先ず最初に山麓に平生の居館を構え、ついで横山の要害を城と呼び、山麓の館を土居と称した。 慶長8年(1603)、二宮佐渡が鍬初めを行い、築城奉行に松岡安右ヱ門、祖式九右ヱ門、二宮兵介、吉田宗右ヱ門などを任用し、 5年の歳月を要して、慶長13年(1608)に山頂の要害は完成し、城藩政が定められた。 横山の三方を迂回する錦川は天然の外堀で、川向こうに町割りを行い、城下町は形成された。
築城当時の岩国城の規模は、城山の尾根沿いに長さ180m、横に108m〜54m、 石垣の高さ5.4m、天守閣は桃山風の南蛮造りと言われ、四層五階で本丸の北隅にそびえていた。 この外に矢倉5棟、折り回し大門2門、埋門1門、井戸2堀があった。 横山川の前方を大手とし、御庄後方を搦手として、錦川を隔てて北方に安芸境を睨んでいた。 元和元年(1615)6月、徳川幕府の一国一城令により、完成から僅か7年で破却の運命に見舞われた。 再建された岩国城は、錦帯橋付近からの景観を考え本丸南側に移動させた。(パンフ、案内板より抜粋)

岩国城のライトアップ。遠くて難しい…。錦帯橋と一緒に写したら、小さいな〜(^^;)

錦帯橋近くの駐車場
吉川広嘉公銅像
大噴水

錦帯橋の近くの駐車場に止めて錦帯橋を渡り、吉香公園の間を通って岩国城へ。
【右】公園内に、石垣を模した噴水が!

ロープウェー

ロープウェー乗り場近くの駐車場は、いつ来てもいっぱい。 案内板の蛇が可愛いな。そういえば、昔シロヘビを見に来たな…。

岩国城ロープウェー山頂駅

【左】ロープウェー山頂駅に、からくり時計がある。
【真ん中】野外ステージ。
【右】この辺りからの景色。

からくり時計。 丁度ロープウェーに乗る前がからくりの時間帯で、流れる音楽とともに鵜飼の様子が見る事が出来た♪

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