トロとまったり・tripのページ(岩国城 その4)

錦雲閣(御土居跡)

【右】御土居跡側から現在の天守を。

吉香神社境内の南隅で、旧藩時代に三階建の南矢倉のあった所で、かつての矢倉を模して、絵馬堂が建造された。

旧 目加田家住宅

白猫が人にビックリして目加田家住宅の柵の中へ。でも、「ん?安全かにゃ?」と出てきた(^^)

昌明館付属屋及び門

寛政5年(1793) に7代藩主吉川経倫の隠居所として建造されたもの。(案内板より)

現在は、吉川史料館。正月らしく門松が飾られていた(^^)

香川家長屋門

香川家長屋門は岩国藩家老香川氏の表門で、今から270年余前、香川正恒が建造したもので、建築面積123.14u。 江戸時代の武家門造の典型として城下町岩国をしのぶ好個の資料である。 香川家は初め芸州(広島県)八木城主で、吉川広家が岩国に移封された当時、客分から家老に取り立てられた名門であり、 かの歴史的に有名な陰徳大平記は、正恒の父、正矩苦心の作で、正恒の弟景継が大成したものである。 その他、香川家からは為政者あるいは歌人の優れた人物が輩出している。(岩国市教育委員会の案内板より)

佐々木小次郎像&巌流ゆかりの柳

佐々木巌流小次郎は、宮本武蔵との勝負に敗れたが、小次郎のつばめ返しの剣法は天下無双であったということである。 吉川英治氏は小説「宮本武蔵」のなかで、岩国で生まれた小次郎は、母から家伝の長光の刀(一名物干し竿)を授かり、 この辺りの柳とつばめを相手に独りで工夫し、努力を重ね、遂につばめ返しの術を編み出したと記している。(案内板より)

槍倒し松(やりこかしまつ)

なるほど(^□^)上手く考えたものだなぁ〜(笑)

この松は、岩国武士の負けず嫌いを表徴する有名な槍倒し松である。 昔諸国の大名が他藩の城下を通る時は、行列の槍を倒すのが礼儀となっていたのだが、 大藩が小藩の城下を通る時は、儀礼を守らず槍を立てたまま威風堂々と通ったものである。 岩国藩が6万石の小藩であるため、岩国の武士達はこれを見て憤慨し、 そこでかなり成長した横枝のはった松の木をわざと橋の頭に植え、 大藩といえどもどうしても槍を倒さなければ、通ることが出来ないようにしたものである。 今では昭和10年(1935)の河川改修工事により道路や人家が堤防の上に移ったが、 元は河辺りにあって、ここの石段が坂道になっていたから、 大名が槍を倒して坂を登るのを見て、岩国武士達は溜飲を下げていたということである。 昭和19年(1944)頃、この地方に発生した松喰虫によって、この松も昭和27年(1952)8月、残念ながら枯れてしまった。 この松は初代の松の実から自生した直系の松を昭和43年(1968)2月15日3代目槍倒し松として、吉香公園から移したものである。 (岩国保勝会の案内板より)

岩国城 2007.1.4記

デジカメを持っていない頃、何度か来たことのある岩国城。あの頃は、「何も無い」と思っていたのに、 城めぐりをするようになった今、残っている石垣に喜びを感じ、大きな空堀に驚き、楽しめる散策となった(^^) 今回は、実家への帰省を終えて、関東へ戻る途中に立ち寄ったんだけど、到着したら、実は時間に余裕が無くて、 天守閣の時間に、ギリギリ間に合ったって感じだった(^^;) 関東よりは、ゆっくり暗くなるので、周囲の散策も出来たし、ライトアップも写せて、大満足だった(^^)

▲上へ戻る