南の丸へ・はねあげ戸 | ||
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南の丸への入口。 (左)本丸南側から見下ろして。 (真ん中)本丸腰曲輪3側から。 (右)南の丸から。 | ||
南の丸 | カマド小屋 | |
この曲輪は、角ばった扇形に造られ
ており、台所の役割を持つ。復元した 建物跡の他、カマドに使われた 石や炭等が見つかっている。 (案内より) (真ん中)見学始めの南側からの遠景。 建物が角ばった扇形に沿って立つ。 |
ここには、焼けた石が並んでいて、 周辺に木じり(燃えがけの木)や炭 ・灰が散乱していた。炊事等に使わ れたカマドがあったと思われる。 (小屋・カマドとも 推定して復元)。 |
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厨 | ||
厨は、食事の準備を行う所という
意味だが、食事の準備だけでなく、
武士が寝泊りをして、武具の手入れ
やワラジ作り等、いろいろな仕事を
したのであろう。発掘調査で、柱穴
列に沿って石が数多く出土した為、
石置き屋根にした。厨の大きさは、
11.8×6.4m、隣の厨は、10.3×3.6mである。
(案内より)
(左)右側が厨。この奥に、もう1棟立つ。 (左下)奥の厨。この窓、スライドさせると、 外から見えにくくなる(@@)凄い〜。 (下真ん中&右下)南物見台付近から見下ろして。 石置き屋根が印象的(^^) |
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南物見台 | ||
矢倉の上から、信州への街道を遠くまで眺める事ができ、
南方に鶏足城が眼の前にある。
鶏足城への連絡を兼ねた矢倉だったのであろう。
柱穴が重複していたので、矢倉は推定して復元されている。
(案内より)
(左)結構高い土塁上にある。傾斜もきつかった。 この角度、格好いいなぁ♪ (右)木橋を見上げて。青空に映える♪ (左下)本丸南側から見下ろして。 櫓の背後の山が鶏足城らしい。 漠然としてて、どの山かな…。 (下真ん中)下から。 (右下)本丸腰曲輪3付近から。小高い所にちょこんと(^^) |
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本丸 | ||
足助城の中心である本丸は、足助の町並みを眼下に見下ろすと共に、 信州と美濃への街道、岡崎・名古屋への街道を望むことができる。 (標高301m)。発掘調査に基づき、掘っ建て柱の高櫓と長屋を復元された。 高櫓は、江戸時代の天守閣にあたるものである。 (案内より) (左)南物見櫓側から本丸を。 左上の青い物体は傘(^^;)見学始めは雨で、 それから、どんどん晴れて…。で、うっかり少し写ってしまった(笑) (左下)北腰曲輪1から、本丸北東の土塁を。 (下2枚)本丸東側から斜面を。 |
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長屋 | ||
長屋は、11.5×1.8mの細長い建物。 北側が7尺の柱間、南側が6尺の 柱間と、変則的な間取りになって いる。また、柱と梁とが一致しない 所があるが、これは、3尺幅の窓を 作る為と思われる。武者溜りとして 本丸を警備した武士が居住した のか、武器を入れる物置であった のか、よく分からない。 (案内より) (右)高櫓から長屋の屋根を見下ろして。 | ||
高櫓 | ||
(左上)東側から。手前が長屋。 (上真ん中)窓。室内は暗くない。 (右上)室内。 (左)窓の下の板を外すと、中には 武者隠しが。ちょうど、屋根の下 辺り(右の写真)。ガイドさんに、 中に入ります?と聞かれたけど、 入らず。入れば良かったな…。 |
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景色 | ||
(左)東かな? (真ん中)西側の足助の町並み方面。 (右)白い建物が、足助陣屋跡(真ん中の写真方面を望遠で)。 | ||
北腰曲輪1 | ||
信州(長野県)への街道を、正面に望むことができる。
本丸寄りに、4.5×6.8mの建物跡が見つかったが、
建物の中を通って、本丸へ行ったのであろう。
(案内より)
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北腰曲輪2 | ||
信州(長野県)への街道を、正面に望むことができる。
台形の建物跡が見つかった。(案内より)
(左)北腰曲輪2。(真ん中)横から。北腰曲輪1(斜面の土塁)と 北腰曲輪2(奥)。(右)北腰曲輪1から見下ろして。 |
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本丸腰曲輪1 | ||
美濃(岐阜県)の東部への街道を、正面に望むことができる。
(左)鬱蒼とした本丸腰曲輪1。 (真ん中)左側が、本丸土塁。写真の奥へ進むと、西の丸へ。 (右)分岐点。左下が北腰曲輪2へ、右の上り坂が北腰曲輪1・本丸へ。 写真手前が、本丸腰曲輪1へ。 |
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■足助城
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